パトリシオ・グスマン

パトリシオ・グスマン(スペイン語: Patricio Guzmán Lozanes、1941年8月11日 - )は、チリ・サンティアゴ出身のドキュメンタリー映画監督・脚本家・撮影監督・俳優。ラテンアメリカを代表するドキュメンタリー映画監督であり[1]、『チリの闘い』3部作や『Salvador Allende』などの作品で国際的に知られている。妻は映画プロデューサーのRenate Sachse。フランスのパリ在住。

パトリシオ・グスマン
Patricio Guzmán
Patricio Guzmán
本名 Patricio Guzmán Lozanes
生年月日 (1941-08-11) 1941年8月11日(82歳)
出生地 サンティアゴ・デ・チレ
国籍  チリ
職業 ドキュメンタリー映画監督・脚本家・撮影監督・俳優
活動期間 1964年-
公式サイト 公式ウェブサイト
 
受賞
カンヌ国際映画祭
ルイユ・ドール
2019年『夢のアンデス』
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(脚本賞)
2015年『真珠のボタン』
エキュメニカル審査員賞
2015年『真珠のボタン』
ヨーロッパ映画賞
ドキュメンタリー作品賞
2010年『光のノスタルジア』
その他の賞

経歴

1941年8月11日[2]、サンティアゴに生まれた[2]。幼少期には引っ越しを繰り返し、ビニャ・デル・マールに住んでいたこともある。

1950年代後半、クリス・マルケルやフレデリック・ロシフ、ルイ・マルの監督作品を見て、ドキュメンタリー映画に興味を持つ[3]。1960年にはチリ大学演劇学校で学び、1961年には歴史学を、1962年から1965年には哲学を学んだが、経済的理由で勉学から離れた。広告業界で4年間働き、その間にはグスマン曰く「酷い出来の」短編小説と長編小説を1作ずつ著した。

やがて8ミリ映画の製作をはじめ、ドキュメンタリー映画監督のラファエル・サンチェスがグスマンの作品に興味を示した。チリ・カトリック大学で映画作りを学び[3]、『Viva la libertad』というタイトルの10分間の短編を製作する機会を与えられた。その後は国外で勉強することを決意し、スペインのマドリードにある広告代理店で働いた後に、スペイン国立映画学校(IIEC)で学んで1969年に卒業、1970年にはスペインでの映画監督資格を得た[3]。2年間はスペイン有数の広告代理店であるモーロ・スタジオで働いている。

1971年にチリに帰国したのち、ドキュメンタリー映画監督としての活動を開始[3]。1972年にはサルバドール・アジェンデ政権最初の1年間を描いたドキュメンタリー映画『El primer año』を製作。実験的な映画製作を行っていたフランス人映画監督兼プロデューサーのクリス・マルケルは、アジェンデ政権に興味をもってチリを訪れると、この作品のフランス語版を製作して配給することに協力した[4]。

1973年9月11日にアウグスト・ピノチェトがチリ・クーデターを起こすと、軍部による左翼狩りに遭って逮捕された。エスタディオ・ナシオナルで15日間の監禁生活を送ったのち、妻や友人の協力でフィルムを国外に持ち出し、同年中にキューバのハバナに亡命。その後はスペインやフランスに滞在しながらドキュメンタリー作品を撮り続けている[3][1]。

亡命前にチリで製作を開始していた『チリの闘い』三部作(1975年から1979年)は、社会主義的政策を推進したアジェンデ政権の終焉を記録した[4][3]。この作品はキューバ映画芸術産業庁が編集を担当し、マルケルは製作と脚本協力という形で協力している[4]。撮影を担当したカメラマンのホルヘ・ミュラー・シルバはチリ・クーデター時に行方不明となっており、エンドロールではミュラーに献辞が捧げられている[4]。アメリカ合衆国の『シネアスト』誌はこの作品を「世界で最も優れた10本の政治映画のうちの1本」と評価した[1]。

1983年の『Rosa de los vientos』は第13回モスクワ国際映画祭に出品された[5]。1987年にはチリのカトリック教会の苦悩を描いた『En nombre de Dios』を製作し、イタリア・フィレンツェのポポリ映画祭(Festival dei Popoli)で作品賞を受賞した。1992年の『La cruz del sur』はマルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭で作品賞を受賞した。1997年の『Chile, la memoria obstinada』でもポポリ映画祭の作品賞を受賞している。1997年にはサンティアゴ国際ドキュメンタリー映画祭(FIDOCS)を設立し、同映画祭では理事長を務めている[1][3]。

1998年にピノチェト元大統領がイギリス・ロンドンで逮捕されると、1999年にはピノチェトを主人公とするドキュメンタリー映画の製作を開始。2001年に公開された『El caso Pinochet』では『La cruz del sur』に続いてマルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭の作品賞を受賞した[4]。

2010年の『光のノスタルジア』はヨーロッパ映画賞でドキュメンタリー作品賞を受賞し、2011年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では最優秀賞(山形市長賞)[6]を受賞した。2013年には自身の28作品をチリ国立フィルムアーカイブに寄贈した。2015年の『真珠のボタン』は第65回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品され[7]、脚本賞を受賞した。2015年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭では『真珠のボタン』が4年前に続いて最優秀賞を受賞し、『チリの闘い』が日本初上映された[8]。同月には『真珠のボタン』と『光のノスタルジア』が岩波ホールほかで一般劇場公開された。2016年9月には『チリの闘い』3部作が岩波ホールほかで一般劇場公開された。

人物

現在は妻で映画プロデューサーのRenate Sachseとともにフランスのパリに在住しており、ヨーロッパとラテンアメリカでドキュメンタリー映画製作を教えている。前妻との間にアンドレア・グスマンとカミーラ・グスマンという2人の娘がおり、アンドレアやカミーラとはしばしば共同作業を行っている。

フィルモグラフィー

  • La Tortura y otras formas de diálogo (1968)
  • El Paraíso ortopédico (1969)
  • El primer año (1971)
  • La Respuesta de octubre (1972)
  • La Batalla de Chile: La insurrección de la burguesía 『チリの闘い』第1部「ブルジョワジーの叛乱」(1975)[9]
  • La Batalla de Chile: El golpe de estado 『チリの闘い』第2部「クーデター」(1977)
  • La Batalla de Chile: El poder popular 『チリの闘い』第3部「民衆の力」(1979)
  • Rosa de los vientos (1983)
  • En nombre de Dios (1987)
  • La Cruz del Sur (1992)
  • Pueblo en vilo (1995)
  • Chile, la memoria obstinada (1997)
  • La Isla de Robinson Crusoe (1999)
  • Invocación (2000)
  • Le Cas Pinochet (2001)
  • Madrid (2002)
  • Salvador Allende (2004)
  • Mon Jules Verne (2005) (TV)
  • Nostalgia de la luz 『光のノスタルジア』(2010)
  • El botón de nácar 『真珠のボタン』(2015)

受賞

脚注

  1. “Patricio Guzmán”. AlloCiné. 2016年9月10日閲覧。
  2. “Patricio Guzmán”. Icarus Films. 2016年9月10日閲覧。
  3. 金子遊 (2015年10月11日). “【特集 山形国際ドキュメンタリー映画祭2015】「パトリシオ・グスマンとクリス・マルケル」”. neoneo. 2016年7月7日閲覧。
  4. “13th Moscow International Film Festival (1983)”. MIFF. 2013年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月3日閲覧。
  5. 山形国際ドキュメンタリー映画祭において最優秀賞(山形市長賞)は大賞(ロバート&フランシス・フラハティ賞)に次ぐ賞である。
  6. “Berlinale 2015: Competition Complete”. ベルリン国際映画祭. 2015年1月28日閲覧。
  7. 金子遊 (2015年9月24日). “山形国際ドキュメンタリー映画祭で南米チリの巨匠パトリシア・グスマン監督の代表作『チリの闘い 三部作』一挙上映!”. neoneo. 2016年7月7日閲覧。
  8. 日本では『チリの闘い』3部作を合わせた263分の作品として、2016年9月に一般劇場公開された。
  9. “Berlin: Patricio Guzman Wins Best Screenplay for 'The Pearl Button'”. The Hollywood Reporter (2015年2月14日). 2016年9月10日閲覧。

外部リンク

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