ウィリアム・アンダース

ウィリアム・アリソン・アンダース(William Alison Anders、1933年10月17日 - )は、アメリカ合衆国の元空軍少将であり、元電気技師、原子力技師、NASA宇宙飛行士、実業家でもある。1968年12月、アポロ8号の乗組員として、地球低軌道を離れて月に向かった最初の3人のうちの1人となった。同僚のフランク・ボーマン、ジム・ラヴェルとともに月を10回周回し、その映像と解説を地球に生中継した。このミッションの月周回中に、象徴的な写真である『地球の出』を撮影した[1]。

ウィリアム・アンダース
NASA宇宙飛行士
現地語名 William A. Anders
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
現況 引退
生誕 William Alison Anders
(1933-10-17) 1933年10月17日(90歳)
香港の旗 イギリス領香港
別名 Bill Anders
他の職業 戦闘機操縦士
出身校 海軍兵学校, B.S. 1955
空軍工科大学, M.S. 1962
階級 空軍予備役軍団少将
宇宙滞在期間 6日03時間00分
選抜試験 1963年 NASA Group 3
ミッション アポロ8号
記章
退役 1969年9月1日
受賞
駐ノルウェーアメリカ合衆国大使
任期
1976年5月11日 – 1977年6月18日
大統領ジェラルド・フォード
ジミー・カーター
前任者トーマス・ライアン・バーン
後任者ルイス・A・ラーナー

仕事や軍務のほかに、ジェラルド・フォード大統領の下で1976年から1977年まで駐ノルウェー大使を務めた。

若年期と教育

アンダースは1933年10月17日にイギリス領香港で、アメリカ海軍中尉アーサー・アンダースとその妻ミュリエル(旧姓アダムス)の間に生まれた[2]。アンダースの誕生後、一家は香港からメリーランド州アナポリスに移り、アンダースの父は海軍大学院で数学を教え始めた。しばらくして一家は中国に戻り、日本軍の南京攻撃の後、アンダースと母はフィリピンに逃れた。母と一緒にフィリピン諸島へ向かうため、アンダースは軍用列車で広州へ向かった。その際、日本軍が爆撃していた川から200ヤードのところにあるホテルに滞在していた[3]。

アメリカ滞在中、アンダースはボーイスカウトに積極的に参加し、ボーイスカウトの中で2番目に高いランクであるライフスカウトを達成した。10代の頃、アンダースはカリフォルニア州エルカホンにあるセント・マーティンズ・アカデミーとグロスモント高校に通っていた[4]。しかし、成績が十分ではなかったため、兵学校へ行くための予備校「ボイデン・スクール」に送られた。

ボイデン・スクールを1951年に卒業して[5]、海軍兵学校に入学し、1955年に電気工学の学士号を取得した。卒業後、アメリカ空軍の少尉に任命された。1962年には空軍工科大学で原子力工学の修士号を取得した[6]。

空軍とNASAでのキャリア

空軍

海軍兵学校を卒業後、アンダースは空軍に入隊した[6]。1956年にパイロット資格を取得し、カリフォルニア州とアイスランドの航空防衛軍団の全天候迎撃飛行隊で戦闘機操縦士として勤務し、当時アメリカの防空境界線に挑戦していたソ連の重爆撃機の初期の迎撃に参加した[6]。ニューメキシコ州の空軍兵器研究所では、原子力発電所の遮蔽と放射線影響プログラムの技術管理を担当した[7]。

NASA

アポロ8号の搭乗員。左からアンダース、ジム・ラヴェル、フランク・ボーマン
1968年12月24日にアンダースが撮影した『地球の出』

1963年、アンダースはNASAの第3次宇宙飛行士グループに選ばれた[7]。NASAでは、線量測定、放射線の影響、環境制御などに携わった[7]。ジェミニ11号のミッションでは予備搭乗員を務めた[7]。1968年12月、アポロ8号の搭乗員として飛行した。これは、人類が地球低軌道を超えて移動した初のミッションであり[7]、月に到達しその軌道を周回した初めての有人飛行だった。月周回飛行中に、アンダースは『地球の出』の写真を撮影した[1]。

その後アンダースは、アポロ11号の予備搭乗員(司令船操縦士)に指名されたが、同年8月に実施される国家航空宇宙会議の任務につくことになり、その日を以て(宇宙飛行士の資格を維持したまま)宇宙飛行士を引退することが発表された。そのため、予定されていた7月にアポロ11号が打ち上げられなくなった場合に備えて、地上支援員だったケン・マッティングリーが並行して訓練を受けることとなった[8]

アンダースはこう語っている。

我々は月を探査するためにここまで来ましたが、最も重要なのは地球を発見したことです[9][10]。

地球環境の保全について、アンダースは次のように語っている。

暗い部屋の中で、クリスマスツリーの飾りくらいの大きさの青緑色の小さな球体だけがはっきりと見えている状態を想像してもらえれば、宇宙から見た地球の姿を理解してもらえるのではないかと思います。私たちは無意識のうちに「地球は平らだ」と思っているのではないでしょうか。地球は巨大な巨人ではなく、壊れやすいクリスマスツリーの球のようなものだと思って、大切に扱うべきだと断言しておきましょう[11]。

その後のキャリア

1969年から1973年まで、アンダーズは国家航空宇宙会議の事務局長を務め、会議の大統領、副大統領、閣僚レベルのメンバーに対して、航空宇宙システムの研究、開発、運用、計画に関する政策オプションの策定を担当した[7]。

1973年8月6日、5人の委員からなる原子力委員会の委員に任命され、原子力発電・非原子力発電の研究開発を担当する主任委員を務めた。また、核分裂・核融合発電に関する米ソ共同の技術交流プログラムの米国側議長にも就任した[7]。

1975年1月19日に行われた国の原子力規制・開発活動の再編成に伴い、ジェラルド・フォード大統領から、原子力の安全性と環境適合性を担当する新設の原子力規制委員会(NRC)の初代委員長に指名された。NRC委員長の任期を終えた後、駐ノルウェー大使に任命され、1977年までその任に就いた。その後、26年間の政府でのキャリアに終止符を打ち、民間企業での仕事を始めた[7]。

1977年9月にゼネラル・エレクトリック(GE)に入社した。カリフォルニア州サンノゼにある原子力製品部門のヴァイスプレジデント兼ゼネラルマネージャーに就任し、サンノゼとノースカロライナ州ウィルミントンにある沸騰水型原子炉用の核燃料、炉内機器、制御・計装機器の製造を担当した。また、テネシー州メンフィスでは、GEとシカゴ・ブリッジ・アンド・アイアンとの提携による大型鋼製圧力容器の製造を監督した。1979年には、ハーバード・ビジネス・スクールの6週間の上級マネジメント・プログラムに参加した[7]。1980年、GEの航空機器部門のゼネラル・マネージャーに任命された。この部門は、ニューヨーク州ユーティカに本部を置き、アメリカ北東部の5つの拠点で8,500人以上の従業員を擁していた。製品は、航空機の飛行および武器制御システム、コックピット計器、航空機用発電システム、航空機用レーダーおよびデータ処理システム、電子対抗措置、宇宙コマンドシステム、航空機/地表の多砲身武装システムなどである[7]。

1984年、GEを退社してテキストロン社に入社し、航空宇宙部門のエグゼクティブ・ヴァイスプレジデントに就任した。2年後にはオペレーション部門のシニア・エグゼクティブ・ヴァイスプレジデントに就任した[7]。1990年、ジェネラル・ダイナミクス社の副会長に就任し、1991年1月1日には会長兼CEOに就任した。1993年に引退したが、1994年5月まで会長を務めた[7]。

アンダースは、科学技術政策局のコンサルタント、防衛科学委員会やNASA諮問委員会の委員を務めた。現在は、空軍予備役軍団の退役少将である[7]。

2005年のベルゲン航空ショーでアンダースがタキシングするP-51マスタング

アンダースは、教育や環境問題の支援を目的とした慈善団体「ウィリアム・A・アンダース財団」を設立した。同財団は1996年、ワシントン州ベリンハムにヘリテージ・フライト・ミュージアムを設立した。この博物館は2014年にワシントン州バーリントンのスカジット・リージョナル空港に移転したが、アンダースは2008年まで館長を務めた。また、2008年までは同博物館の航空ショーに積極的に参加していた[12]。

月のクレーター「アンダース」は、彼にちなんで命名されている[12]。

2011年、カナリア諸島で開催された第1回スターマス・フェスティバルで、初期のアメリカの宇宙計画について講演を行った。この講演は"Starmus: 50 Years of Man in Space"(スターマス: 宇宙における人類の50年)として出版された[13]。

アンダースは、アメリカ原子力学会、アメリカ航空宇宙学会、実験テストパイロット協会の会員である[7]。

私生活

アンダースは1955年にヴァレリー・ホード(Valerie Hoard)と結婚した[7]。2人の間にはアラン(1957年生まれ)、グレン(1958年生まれ)、ゲイル(1960年生まれ)、グレゴリー(1962年生まれ)、エリック(1964年生まれ)、ダイアナ(1972年生まれ)の6人の子供がいる。夫婦でワシントン州アナコルテスに在住している[3][14]。

アンダースは、自身の慈善団体が設立したヘリテージ・フライト・ミュージアムの活動を続けており、様々な航空ショーや航空展示会で、財団が所有するビンテージ航空機を飛ばしている。空軍時代からの飛行時間は8千時間を超えている[6]。

アンダースは『地球の出』の写真について、次のように語っている。

(『地球の出』の写真は)私の宗教的信念を根底から覆すものでした。物事は教皇を中心に回っていて、その上には大きなスーパーコンピュータがあって、それはビリーが昨日はいい子だったかどうかを気にしている、という考え? 何の意味もありません。私はリチャード・ドーキンスと大の仲良しになりました[15]。

賞と栄誉

バズ・オルドリンと握手を交わし、アポロ11号の月への旅の成功を祈るアンダース

アンダースは、アポロ8号の他の搭乗員とともに、AIAAのヘイリー宇宙飛行士賞を受賞した[22]。

1983年にニューメキシコ宇宙歴史博物館の「国際宇宙の殿堂」[10][23]、1990年に「国際航空宇宙の殿堂」[24]、1997年に「アメリカ宇宙飛行士殿堂」[25][26]、2004年に「全米航空殿堂」[27]に、それぞれ殿堂入りした。

大衆文化において

1967年、アイスランドでの地質研修で、アイスランドの地質学者シグルズル・フィオラリンソンとテッド・フォス博士と一緒にいるアンダース

HBOが1998年に制作したテレビドラマ『フロム・ジ・アース/人類、月に立つ』では、ロバート・ジョン・バークがアンダースの役を演じた[28]。

アンダースは、PBSのテレビシリーズ「American Experience」の一環として上映された2005年のドキュメンタリー『Race to the Moon』(2013年に『Earthrise: The First Lunar Voyage』に改題)に出演している。この作品は、アポロ8号のミッションに至るまでの出来事を中心に描かれている[29]。

アンダースは、クリス・ライト著の『No More Worlds to Conquer』の一章でインタビューを受けている。この章では、アポロ計画とその後の民間企業での活動の両方について触れられている。この本の表紙には、アンダースが撮影した『地球の出』の写真が使われている[30]。

アンダースは、他のアポロ8号の搭乗員とともに、C-SPANの『Rocket Men』のブックレビューに出演した。この中で、アポロ8号の打ち上げを待っている間に眠ってしまったという話をした[31]。

脚注

  1. “Chasing the Moon: Transcript, Part Two”. American Experience. PBS (2019年7月10日). 2019年7月24日閲覧。
  2. Pace, Eric (2000年8月31日). “Arthur F. Anders, 96, Hero Aboard U.S. Gunboat in 1937”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2000/08/31/us/arthur-f-anders-96-hero-aboard-us-gunboat-in-1937.html 2012年11月8日閲覧。
  3. “Bill Anders: A Love of Afterburners”. Airport Journals (2007年4月1日). 2015年3月15日閲覧。
  4. Newland, James (2010). La Mesa. Arcadia Publishing. p. 109. https://books.google.com/books?id=PRksOR9pNHYC&pg=PA109
  5. "Bill Anders: A Love of Afterburners" http://airportjournals.com/bill-anders-a-love-of-afterburners/
  6. “Maj. Gen. William A. Anders”. Heritage Flight Museum. 2012年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月12日閲覧。
  7. “William A. Anders (Major General, USAF Reserve, Ret.)”. NASA (2014年12月). 2021年1月8日閲覧。
  8. Slayton, Donald K. "Deke"; Cassutt, Michael (1994). Deke! U.S. Manned Space: From Mercury to the Shuttle. New York: Forge. ISBN 978-0-312-85503-1. LCCN 94-2463. OCLC 29845663
  9. “Remarks by the President at the National Academy of Sciences Annual Meeting”. whitehouse.gov (2009年4月27日). 2021年4月15日閲覧。
  10. “Lunar Module pilot on Apollo 8, the first mission to circumnavigate the Moon”. nmspacemuseum.org. New Mexico Museum of Space History. 2010年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月15日閲覧。
  11. Nicks, Oran W., ed (1970). This Island Earth. NASA. p. 14
  12. “"The First Earthrise" Apollo 8 Astronaut Bill Anders recalls the first mission to the Moon”. The Museum of Flight. 2016年10月13日閲覧。
  13. “Starmus Festival and Stephen Hawking Launch the Book 'Starmus, 50 Years of Man in Space'”. PR Newswire (2014年9月7日). 2021年4月15日閲覧。
  14. “Skagit County Property Tax, Anders Bill; Anders Valerie”. skagitcounty.net (2013年4月22日). 2018年7月15日閲覧。
  15. Sample, Ian (2018年12月24日). “Earthrise: how the iconic image changed the world” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/science/2018/dec/24/earthrise-how-the-iconic-image-changed-the-world 2018年12月24日閲覧。
  16. “Apollo 8 Wins Collier Trophy”. Alabama Journal. Associated Press (Montgomery, Alabama): p. 18. (1969年5月9日). https://www.newspapers.com/clip/26977750/alabama_journal/
  17. “AF Major, 3 Astronauts Get Harmon”. Fort Lauderdale News. UPI (Fort Lauderdale, Florida): p. 67. (1969年9月7日). https://www.newspapers.com/clip/32070254/fort_lauderdale_news/
  18. “Paine Selected as NASA Chief”. The San Francisco Examiner. Associated Press (San Francisco, California): p. 6. (1969年3月5日). https://www.newspapers.com/clip/26978415/the_san_francisco_examiner/
  19. The Gen. Thomas D. White USAF Space Trophy. USAF. (May 1997). p. 156. http://www.airforcemag.com/MagazineArchive/Magazine%20Documents/1997/May%201997/0597recs.pdf.
  20. “Golden Plate Awardees of the American Academy of Achievement”. www.achievement.org. American Academy of Achievement. 2021年4月15日閲覧。
  21. “Lunar craters named in honor of Apollo 8” (英語). EurekAlert!. International Astronomical Union. 2018年10月7日閲覧。
  22. “Apollo 8 Crew Honored”. Florida Today (Cocoa, Florida): p. 12C. (1970年3月25日). https://www.newspapers.com/clip/43547094/florida_today/
  23. Sheppard, David (1983年10月2日). “Space Hall Inducts 14 Apollo Program Astronauts”. El Paso Times (El Paso, Texas): p. 18. https://www.newspapers.com/clip/29964158/el_paso_times/
  24. Sprekelmeyer, Linda, editor. These We Honor: The International Aerospace Hall of Fame. Donning Co. Publishers, 2006. ISBN 978-1-57864-397-4.
  25. “U.S. Astronaut Hall of Fame”. Astronaut Scholarship Foundation. 2016年10月13日閲覧。
  26. Meyer, Marilyn (1997年10月2日). “Ceremony to Honor Astronauts”. Florida Today (Cocoa, Florida): p. 2B. https://www.newspapers.com/clip/28283877/florida_today/
  27. “Come With Us to Washington DC for the induction of the Class of 2018! - National Aviation Hall of Fame” (英語). National Aviation Hall of Fame. 2018年6月18日閲覧。
  28. “Television Review; Boyish Eyes on the Moon”. The New York Times (1998年4月3日). 2018年8月5日閲覧。
  29. “The Making of 'Race to the Moon': Apollo 8 Documentary Producer Tells All”. Space.com (2005年10月20日). 2016年11月16日閲覧。
  30. “Anders' Game”. Euromoney (2015年6月). 2016年11月16日閲覧。
  31. “Rocket Men'”. C-SPAN (2018年4月). 2018年6月20日閲覧。

関連項目

外部リンク

外交職
先代
トーマス・ライアン・バーン
駐ノルウェーアメリカ合衆国大使
1976–1977
次代
ルイス・A・ラーナー
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