ピーテル・コルネリスゾーン・ファン・レイク

ピーテル・コルネリスゾーン・ファン・レイク(Pieter Cornelisz. van Rijck、1567年ころ - 1637年ころ)は、オランダ黄金時代の画家の一人である。ハールレムやイタリアで活動し、市場や厨房で働く人などを描いた。

ピーテル・コルネリスゾーン・ファン・レイク
Pieter Cornelisz. van Rijck
ファン・レイク作、「2人の人物のいる市場の風景」(1622)
ノースカロライナ美術館 蔵
誕生日 1567年ころ
出生地 デルフト
死没年 1637年ころ
死没地 イタリア

略歴

生年は、はっきりしないがデルフトで生まれたとされる。父親はハールレムの醸造業者コルネリス・ファン・レイクで、兄はデルフトの醸造業者であった。いとこにハールレムで働き、豪華な食事を並べた食卓を描く静物画「banketje」を得意とした画家のフロリス・ファン・ダイク(c.1575-before1651)がいる[1][2]。

ネーデルランドの画家の伝記を出版したカレル・ファン・マンデル(1548-1606)によれば、ファン・レイクは絵をデルフトの画家、ヤコブ・ウィレムスゾーン・デルフ(Jacob Willemsz. Delff (I): c.1550-1601)に学んだ。しばらく別の仕事をした後、画家の仕事に戻り、ヴェネツィアのドージェ(元首)、マリーノ・グリマーニ(Marino Grimani)のために働いたことから、ハイブレヒト・ヤコブスゾーン・グリマーニ(Huybrecht Jacobsz. Grimani: 1562-1651)として知られることになる画家の弟子になった[3]。6ヶ月間グリマーニに学んだ後、グリマーニとイタリアに移り、イタリア各地を旅し、イタリアの貴族から注文を受けて働いた。

オランダ美術史研究所の研究では、ファン・レイクは1588年から1602年までヴェネツィア、1602年から1604年までハールレムに滞在し、1605年に再びイタリアに移ったとしている[4]。

カレル・ファン・マンデルが『画家列伝(画家の書)』を執筆していた時期にハールレムにいて、マンデルとイタリアの画家について議論し、マンデルはファン・レイクの作品に言及し、ヴェネツィアの風俗画家、ヤコポ・バッサーノ(c.1510-1592)の信奉者であると言及した[3]。

作品

参考文献

  1. Entry on Floris Claesz van Dyck in the RKD
  2. Collections of Paintings in Haarlem 1572-1745: Netherlandish Inventories, p.102 (inventory of Agatha Pieters Bal), by Pieter Biesboer, 2001, The J. Paul Getty Trust
  3. (オランダ語) Pieter Cornelisz. van Rijck, Schilder van Delft in Karel van Mander's Schilderboeck, 1604, courtesy of the Digital library for Dutch literature
  4. Pieter Cornelisz van Rijck in the RKD
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