ピーテル・スハウブルーク

ピーテル・スハウブルーク(Pieter Schoubroeck、1570年ころ、1607年か1608年に没)はフランドルに出自を持ち、ドイツのフランケンタールなどで働いた、風景画家である。

ピーテル・スハウブルーク
Pieter Schoubroeck
スハウブルーク作「燃えるトロイアの街からアンキセスを運び出すアエネアス」
誕生日 1570年ころ
出生地 ランブレヒト(Lambrecht)
死没年 1607年か1608年
死没地 フランケンタール

略歴

現在のドイツ、ラインラント=プファルツ州のフランケンタールに近い、ランブレヒト(Lambrecht)で生まれた。父親はフランドル出身のプロテスタントの説教師で、1566年に宗教的迫害を逃れてドイツに移ってきた人物である[1] 。1581年に家族はフランドルのメヘレンに戻り、メヘレンでRoment Verbiestという画家の弟子になった[2]。1585年にカトリック派のパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼが率いるスペイン軍がアントウェルペンを占領すると、1586年に父親はドイツのヘースハイムに移り、ピーテル・スハウブルークは同様にアントウェルペンからフランケンタールに逃れてきたヒリス・ファン・コーニンクスロー(1544-1607)の弟子になった[1]。

ローマに移る前に、フランクフルトに移り、マルテン・ファン・ファルケンボルフ(Marten van Valckenborch:1535-1612)やヘンドリック・ファン・ステーンワイク(Hendrik van Steenwijk de Oudere: c.1550-1603)と知り合ったと伝えられるが証拠となる資料はない。

1595年にはローマにいた記録があるが、1597年にはニュルンベルクに戻っていて、そこで結婚した。結婚した妻の父親は1688年に亡くなっていたがフランケンタールで画商をしていた。1600年までニュルンベルクの文書に記録が残っているが、ニュルンベルクの市民権を放棄して、妻の資産のあるフランケンタールに移り、1607年の5月から1608年の4月の間に亡くなったとされる[1]。

ヒリス・ファン・コーニンクスローの絵のスタイルとよく似た、想像で描かれた建物や地形のある幻想的な風景画を描いた。

作品

脚注

  1. Frankentahl website(リンク切れ)
  2. Pieter Schoubroeck, Oxford Index.

参考文献

  • Edgar J. Hürkey: Die Frankenthaler Maler. In: Volker Christmann, Edgar J. Hürkey, Gerhard Nestler, Dieter Schiffmann, Theo Wieder (Hrsg.): Frankenthal. Die Geschichte einer Stadt. Schmidt, Neustadt an der Aisch 2013, ISBN 978-3-87707-886-0, S. 255 ff.

外部リンク

  • RKD Biografische gegevens op RKD-Nederlands Instituut voor Kunstgeschiedenis.Men kan klikken op het aantal treffers onder de titel 'Deze kunstenaar in andere databases', om de toegeschreven werken te bekijken.
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