フィンランド共産党

フィンランド共産党(フィンランドきょうさんとう、フィンランド語: Suomen Kommunistinen Puolue、スウェーデン語: Finlands kommunistiska parti、略称:SKP)は、フィンランドにかつて存在した共産主義政党

 フィンランドの政党
フィンランド共産党

Suomen Kommunistinen Puolue
Finlands kommunistiska parti
創立 1918年8月29日 (1918-08-29)
解散 1992年
分離元 フィンランド社会民主党
合併先 左翼同盟
青年部 Suomen kommunistinen nuorisoliitto(SKNL)
政治的思想 マルクス・レーニン主義
ユーロコミュニズム
Taistoism(minority)
国内連携 SKDL
国際連携 コミンテルン
公式カラー red
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コミンテルン支部として発足したが、1944年までフィンランド国内では非合法とされていた。そのため、1920年代にはフィンランド社会労働党1920年 - 1923年)並びに社会主義労農選挙団1924年 - 1930年)へ参加(その後、両者は何れも政府により活動が禁止)。1944年には新たな前衛組織として、フィンランド人民民主同盟(SKDL)を結成するに至る。

歴史

結党から活動初期

1918年フィンランド内戦にて、労働者農民らから構成される左派赤衛軍が敗北。フィンランド社会民主党は赤衛軍を支援していたため、一部の党幹部がソビエト連邦亡命し、そのうち数名がモスクワにて結党した。

フィンランド国内では1944年まで非合法とされており、同年傘下組織としてフィンランド人民民主同盟が結成され、継続戦争以後はSKPが同盟を取り仕切る事となる。

冷戦期

1944年から1979年にかけて、SKDLの支持率が17%から24%もあり、冷戦期に「黄金時代」を迎えた。1945年に行われた戦後初の議会選挙では、51議席を得て第一党に躍進[1]与党となる事も数度あり、内閣12閣僚のうち8閣僚を送り出すに至るも[1]、共産系の首相大統領は誕生していない。

1960年代半ばには、アメリカ合衆国国務省が党員数を約40000名と推計している(当時の労働人口の1.44%に当たる)[2]。しかし、少数派のスターリン主義者(タイストイスト)による内部抗争のため、次第に地盤を失うと共に弱体化。タイストイストが党のユーロコミュニズム寄りの姿勢をしばしば攻撃するなど、党内にしこりを残す結果となった。

1985年から翌年にかけては、タイストイスト多数の他、数百もの党組織や数千名もの党員が除名を余儀無くされる。除名者はフィンランド共産党 (統一派)(SKPy)を結成するに至った。

解党

ソビエト連邦の崩壊に伴い、党内でもイデオロギー的対立が深まり、内部抗争が激化。1990年には、大多数の党員やSKDLの関係者が左翼同盟を結成するに至る。このため、1992年に財政破綻を来たした末、解散となった。

なお、SKPyはSKP解散後も存続し、1997年に「フィンランド共産党」と改名するものの、議会において嘗てSKPが擁していた議席を取り戻せていない。2007年の選挙における得票率は0.7%であった。

関連団体

青年組織としてフィンランド共産主義青年同盟(SKNL、1925年 - 1936年)が存在。第二次世界大戦後フィンランド民主青年同盟(SNDL、世界民主青年連盟加盟)と名を変え活動を行った。

日本共産党との関係

1983年6月19日から22日にかけて、日本共産党不破哲三委員長(当時)を団長とする代表団が訪芬、アルヴォ・アールト議長と初の公式会談を実施[3]。一方、SKPも1985年日本共産党第17回大会に来賓として出席している[4]

歴代党首

議長
イリョ・シロラ 1918年 - 1920年
クレルヴォ・マンネル 1920年 - 1935年
ハンネス・マキネン 1935年 - 1937年[5]
ユッカ・レートサーリ 1937年 - 1938年[5]
アイモ・アールトネン 1944年 - 1945年
アーロ・ウーシタロ 1945年 - 1948年
アイモ・アールトネン 1948年 - 1966年
アールネ・サーリネン 1966年 - 1982年
ヨウコ・カヤノヤ 1982年 - 1984年
アルヴォ・アールト 1984年 - 1988年
ヤールモ・ワールストム 1988年 - 1990年
ヘルヤ・タミソラ 1990年 - 1992年
    書記長
アルヴォ・トゥオミネン 1935年 - 1940年
ヴィレ・ペシ 1944年 - 1969年
アルヴォ・アールト 1969年 - 1977年
エーキ・キヴィマキ 1977年 - 1981年
アルヴォ・アールト 1981年 -1984年
アールノ・アイタムート 1984年 - 1985年
エスコ・ヴァイニオンパ 1985年 - 1988年
ヘルヤ・タミソラ 1988年 - 1990年
アスコ・マキ 1990年 - 1992年

関連項目

脚注

  1. 石垣 泰司『戦後の欧州情勢の変化とフィンランドの中立政策の変貌』 外務省調査月報 2000/No.2
  2. Benjamin, Roger W.; Kautsky, John H.. Communism and Economic Development, in The American Political Science Review, Vol. 62, No. 1. (Mar., 1968), pp. 122.
  3. 日本労働年鑑 第55集 1985年版 第二部 労働運動 XIV 政党 法政大学大原社会問題研究所
  4. 日本労働年鑑 第57集 1987年版 第四部 労働組合と政治・社会運動 III 政党の動向 法政大学大原社会問題研究所
  5. Joni Krekola: Stalinismin lyhyt kurssi (SKS 2006), p. 108.

外部リンク

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