フトゥッワ
歴史
シーア派との関係:アリー崇拝
またシーア派の初代イマームであるアリー・イブン・アビー・ターリブ(600 - 661)を崇拝していた(アリー崇拝)[1]。
フトゥッワト・ナーメ
フトゥッワの信条や儀礼はフトゥッワト・ナーメ(futuwwat-nāme)という冊子に書かれた[1]。
アブドゥル・アズィーム・ハーン・カリーブ(Mīrzā 'Abd al-'Azīm Khān Qarīb)のフトゥッワト・ナーメでは、フトゥッワはコーランに記載された若者(ファター、fatā)を引用して公的イスラームに起源が求められた[1]。また、同書ではアリーがフトゥッワ指導を行い、ハディースに基づいて謙虚さ、赦し、寛容性、奉仕、助言を美徳とすると書かれている[1]。
現在
今日でもバーザールや古式闘技道ズール・ハーネ(zūr-khāne)、またシーア派などにおいてフトゥッワは生きているともいわれる[1]。
脚注
- 佐野東生「シーア派イスラームとの対話-神秘主義をめぐる日本との共通性を探って-」、2013
- 世界大百科事典第2版「フトゥッワ」
- 世界大百科事典第2版「俠客」
参考文献
- 世界大百科事典第2版「フトゥッワ」
- 佐野東生「シーア派イスラームとの対話-神秘主義をめぐる日本との共通性を探って-」国際文化研究 17、25-34、2013、龍谷大学
- Rachel Goshgarian,Futuwwa in 13th-century Rum and Armenia: Reform Movements and the Managing of Multiple Allegiances on the Seljuk Periphery,in The Seljuks of Anatolia : court and society in the medieval Middle East,edited by A.C.S. Peacock and Sara Nur Yildiz,I.B.Tauris,2013.
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