フラッド (プロデューサー)

来歴

10代の頃にSeven Hertzというバンドを組み、バンドのボーカリストとして活動する。同時にその頃からロンドンのモーガン・スタジオやバッテリー・スタジオといったレコーディングスタジオのアシスタントとして働き始める。またマーカス・スタジオやトライデント・スタジオの研修生としてレコーディング技術を習得した[1]。

ハウス・エンジニア(スタジオ専属レコーディングエンジニア)に昇格したフラッドは、1981年にニュー・オーダーのデビューアルバム『ムーブメント』、翌1982年にはミニストリーのデビューアルバム『ウィズ・シンパシー』のエンジニアリングを担当。その後Some Bizarre Recordsと提携し、レーベル所属のアーティスト(キャバレー・ヴォルテールやサイキックTVなど)の作品のプロデュースを行うようになっていった。

Some Bizarre Recordsの次にフラッドはミュート・レコード所属のニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズやデペッシュ・モード、イレイジャーなどのアーティストの作品を手がけるようになる。

1987年、エンジニアとして参加したU2の『ヨシュア・トゥリー』が世界的な大ヒットとなり、フラッドは初めての商業的成功を手に入れ、その名を知られるようになる。ナイン・インチ・ネイルズのデビューアルバム『プリティ・ヘイト・マシーン』(1989年)、『ザ・ダウンワード・スパイラル』(1994年)、デペッシュ・モードの最大のヒット作『ヴァイオレーター』(1990年)、『ソングス・オブ・フェイス・アンド・デヴォーション』(1993年)、U2の『アクトン・ベイビー』(1991年)、『ZOOROPA』(1993年)、『POP』(1997年)、スマッシング・パンプキンズの『メロンコリーそして終りのない悲しみ』(1995年)、『アドア』(1997年)、『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド』(2000年)といったイギリス、アメリカ双方のオルタナティヴ系アーティストのヒット作に多く携わり、人気プロデューサーとしてミュージシャンからの厚い支持と信頼を得ている。

脚注

  1. Dave Thompson, Alternative Rock, Miller Freeman Books, 2000, p. 767
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