フリードリヒ5世 (シュヴァーベン大公)

生涯

1165年4月、フリードリヒはイングランド王ヘンリー2世とアリエノール・ダキテーヌの娘エリナーと婚約した。しかしフリードリヒが早世したため、この結婚は実現しなかった[2]。

1167年8月、シュヴァーベン大公フリードリヒ4世がイタリア遠征中に死去した。フリードリヒ4世はローマ王コンラート3世の唯一の息子であり、妃ゲルトルート・フォン・バイエルンとの短い結婚で子供がいなかったため、フリードリヒ4世の死によりコンラート3世の家系は断絶し、領地は皇帝フリードリヒ1世の手に渡った。フリードリヒ1世は3歳の息子フリードリヒをシュヴァーベン大公に任じ、フリードリヒはシュヴァーベン大公フリードリヒ5世となった。

1169年6月、バンベルクでの宮廷会議において、フリードリヒ5世の弟ハインリヒはローマ王に選出され、同年8月15日にアーヘン大聖堂において戴冠した。フリードリヒ5世は生まれつき体が弱く、幼年期を生き延びると思われていなかったため、王位継承から外されたと考えられる[3]。

中世の2つの文献により、フリードリヒ5世は弟ハインリヒがローマ王に選出された時にまだ生存していたことがわかる[4]。婚約者のエリナーが1170年にカスティーリャ王アルフォンソ8世と結婚したことから、フリードリヒ5世は1169年半ばもしくは1170年始めに死去したと考えられる[5]。

フリードリヒ5世はロルヒ修道院に埋葬された。ロルヒ修道院はホーエンシュタウフェン家の墓所であり、曾祖父シュヴァーベン大公フリードリヒ1世が寄進を行っていた[1]。1475年、修道院長ニコラウス・シェンク・フォン・アーベルクはロルヒ修道院に埋葬されていた全てのホーエンシュタウフェン家成員の遺骸を後期ゴシックの石棺に移した。石棺は現在、ロルヒ修道院の中央身廊に安置されている[6]。

フリードリヒ5世の死後、フリードリヒの名は皇帝フリードリヒ1世の三男コンラートに与えられ、コンラートはシュヴァーベン大公位を継承しフリードリヒ6世となった。このように、シュタウフェン家で重要なフリードリヒの名は受け継がれていくこととなる[4][7]。フリードリヒ6世(コンラート)の次の息子オットーはおそらく1170年6月から7月までの間に生まれ[8]、フリードリヒ5世はそれ以前に死去していたと考えられる。皇帝フリードリヒ1世は単に次の息子を(オットーでなく)フリードリヒと呼びたかっただけに違いなく、オットーがフリードリヒ5世の死後に生まれていたなら、コンラートがフリードリヒと改名する必要がなかったからである。

脚注

  1. Decker-Hauff 1977, p. 355.
  2. Weller 2004, pp. 101–102, 107.
  3. Baaken 1968, p. 65.
  4. Weller 2004, p. 100.
  5. Weller 2004, p. 107.
  6. Burial of the Staufer in the Lorch Abbey in: schloesser-und-gaerten.de (German site). Retrieved 18 January 2020.
  7. Baaken 1968, p. 75.
  8. Assmann 1977, p. 459.

参考文献

先代
フリードリヒ4世
シュヴァーベン大公
1167年 - 1170年
次代
フリードリヒ6世
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