フロンティア
アメリカ合衆国
西部開拓時代と「フロンティア」の消滅

フレデリック・ターナー
アメリカ合衆国の国勢調査局は、一平方マイルにつき人口(先住民は除く)が二人以上六人以下の地域をフロンティアと定めていた。この地帯の外辺がフロンティア・ラインである。白人入植者によるインディアンに対する征服が進むとともに、フロンティア・ラインは西部に漸次移動していき、1890年の国勢調査局長が、フロンティア・ラインと呼べるものがなくなったことを国勢調査報告書に記載した。これが「フロンティアの消滅」である。このフロンティア消滅をうけて、歴史家のフレデリック・ターナーは、フロンティアと合衆国の民主主義・国民性を関連づけて述べた(フロンティア学説)。
アメリカの言う「フロンティア」とは実際には「インディアンの掃討の最前線」であり、スー族に対する「ウーンデッド・ニーの虐殺」があった1890年に「インディアンの掃討が完了した。」として合衆国政府は「フロンティアの消滅」とした。「フロンティアの消滅」と前後して、アメリカ合衆国は太平洋進出を始めていく。
ジョン・F・ケネディの「ニューフロンティア」

「ニューフロンティア」を提示したジョン・F・ケネディ
1960年7月15日、アメリカ大統領選挙に向けてカリフォルニア州ロサンゼルスのロサンゼルス・メモリアル・コロシアムにおいて行われた民主党の党大会において、大統領候補に指名された上院議員のジョン・F・ケネディが演説を行い、戦争や偏見、貧困といったアメリカが抱えた諸問題に取り組む意味での「ニューフロンティア」を掲げた。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.