プゾージュ
プゾージュ (Pouzauges)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、ヴァンデ県のコミューン。
| Pouzauges | |
|---|---|
|
| |
| 行政 | |
| 国 |
|
| 地域圏 (Région) |
ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
| 県 (département) |
ヴァンデ県 |
| 郡 (arrondissement) | ラ・ロッシュ=シュル=ヨン郡 |
| 小郡 (canton) | レゼルビエ小郡 |
| INSEEコード | 85182 |
| 郵便番号 | 85700 |
| 市長(任期) |
ミシェル・ドゥヴァンヌ (2014年 - 2020年) |
| 自治体間連合 (fr) | Communauté de communes du Pays-de-Pouzauges |
| 人口動態 | |
| 人口 |
5536人 (2013年) |
| 人口密度 | 151人/km2 |
| 住民の呼称 | Pouzaugeais |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯46度46分59秒 西経0度50分10秒 |
| 標高 |
平均:m 最低:92m 最高:280m |
| 面積 | 36.65km2 |
![]() Pouzauges | |
| 公式サイト | Site officiel |
由来
1080年にはPuzalgiæというつづりであったことが証明されている[1]。ラテン語のputeusは『穴』『非常に深い穴』『生きた水の井戸』を意味し、またはまれな接尾辞である-aliaをつけて『鉱山の穴』となる[2]。
意味はその後拡大され、『地下水脈に到達するまで掘られた穴』となった。
フランス革命の後、コミューンの名はプゾージュ=ラ=モンターニュ(Pouzauges-la-Montagne)と改名されていた[3]。
歴史
15世紀、プゾージュ領主領はアンボワ―ズ家のトゥアール子爵領に併合された。
ヴィユー・プゾージュの司祭ディヨン氏は1789年の三部会において聖職者の議員に選出された。
1793年のクリスマスの夜、ミサのさなかに400人が革命政府軍によってプゾージュの教会で虐殺された。
経済
プゾージュには、食品の小売りやケータリングを行うフルーリー・ミション(fr)の本社がある。
人口統計
| 1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2008年 | 2013年 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 4239 | 4832 | 5506 | 5699 | 5473 | 5385 | 5395 | 5536 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[3]、2004年以降INSEE[4][5]。
史跡

プゾージュ城
- プゾージュ城 - 12世紀。ジル・ド・レの妻カトリーヌ・ド・トゥアールの居城だった。
- サン・ジャック教会 - 12世紀。十字架の道を描いた絵画がある
- ヴィユー・プゾージュのノートルダム教会
脚注
- Ernest Nègre -Toponymie générale de la France - Volume 2 - Page 1098
- Pierre Gauthier - Noms de lieux du Poitou: introduction à la toponymie - Page 163
- http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=27830
- http://www.statistiques-locales.insee.fr
- http://www.insee.fr
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