プワゾン (香水)
歴史
ディオールから独立したイヴ・サン=ローランは、1977年にオピウムを発売し、成功を収めた。これに対し、ディオールの社長のモーリス・ロジェは、ルール社の調香師エドゥアール・フレシエ(仏: Édouard Fléchier)に、従来のディオールの香水とは全く異なる香りの創作を依頼した。フレシエは女優のイザベル・アジャーニをイメージし、誘惑をかき立てる挑発的な香りを創り出した。アジャーニは、ヴォー=ル=ヴィコント城で行われた発表会で新しい香水の命名役を務めた。発売時にはクロード・シャブロルの監督によるCMが作られ、「毒」を名に持つこの香水は世界中で流行した。しかし一部では拒否反応も起き、アメリカでは「禁煙・禁プワゾン」と掲示するレストランも現れるほどであった[1]。日本ではバブル景気のさなかの1987年頃より流行し、1つの銘柄で15%のシェアを占める大ヒットとなった[2]。
1998年に「ヒプノティック プワゾン」、2004年に「ピュア プワゾン」、2007年に「ミッドナイト プワゾン」[1]、2016年には「プワゾンガール」[3]のシリーズ製品が発売された。
脚注
- (ゴーティ 2013, p. 112)
- “(あのとき・それから)1987年 香水プワゾン、日本でブーム 濃厚な香り、バブルの記憶”. 朝日新聞. (2018年3月28日) 2018年7月20日閲覧。
- “ディオールの新フレグランス「プワゾン ガール」が日本上陸”. ファッションヘッドライン (2016年6月4日). 2018年7月20日閲覧。
- (榎本 2008, pp. 124–125)
参考文献
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