ペルシア (ペルージャの古名)

ペルシア (ラテン語: Perusia) は、現在のイタリアに位置する都市ペルージャの古名である。歴史上、エトルリア同盟の12都市の一つとして、紀元前310/309年のエトルリア人とローマ人の戦争に参加していたとされるのが最初の言及である。紀元前295年の反乱では重要な役割を担ったが、翌年には反乱側から離反し、ウルシニやアッレティウム (現アレッツォ)と共に和平を模索した[1]。

ペルシア
Perusia
ペルージャの「アウグストゥスの門」
ペルシア (ペルージャの古名)の位置(ウンブリア州内)
ペルシア (ペルージャの古名)
ウンブリア州における位置
ペルシア (ペルージャの古名)の位置(イタリア内)
ペルシア (ペルージャの古名)
ペルシア (ペルージャの古名) (イタリア)
別名 ペルージャ
所在地 イタリアの旗 イタリア ペルージャ
地域 ウンブリア
座標 北緯43度6分42.0906秒 東経12度23分26.1384秒
種類 都市
歴史
時代 Orientalizing period - ローマ帝国
文化 エトルリア文明
ウンブリア人
古代ローマ
追加情報
一般公開 されている


紀元前216年から紀元前205年にかけては第二次ポエニ戦争でローマ側に立ち続けた。その後記録が途絶え、紀元前41年から40年のペルシア戦争で再登場する。この時はルキウス・アントニウスがペルシアに立てこもったのを、オクタウィアヌスが長期間の包囲戦の末に下した[1]。

現在のペルージャの内外では、多くの投石機用の鉛弾が見つかっている[2][3]。ペルシア戦争の敗北により、町はウゥルカーヌスとユーノーの神殿を除き焼き払われた。ただエトルリア時代のテラス壁は、ほとんど損なわれることが無かった。かつての街の周囲1マイルの土地は、誰でも勝手に占有して良いことになった。その後、この地ではまた一から街が再建されたとみられ、複数の都市の基礎の遺構が見つかっている。それらにはアウグスタ・サク(ルム)・ペルシア・レスティトゥタという刻印がみられる。ただ、植民都市の地位を回復したのは、251年から253年の間になってからであった[1][4]。

脚注

  1.  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Perugia". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 21 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 278–279.
  2. CIL xi.1212
  3. Lawrence Keppie (4 January 2002). The Making of the Roman Army: From Republic to Empire. Routledge. pp. 108–. ISBN 978-1-134-74603-3. https://books.google.com/books?id=WouFAgAAQBAJ&pg=PA108
  4. Augusta Perusia: Rivista di topografia, arte e costume dell'Umbria. (1908). https://books.google.com/books?id=Vw0FAAAAYAAJ
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