ホテル仙台プラザ

ホテル仙台プラザ(ホテルせんだいプラザ)は、宮城県仙台市青葉区本町にかつて存在したホテル2011年〈平成23年〉に閉館)。東北地方を代表する名門ホテルであった[2]

ホテル仙台プラザ
Hotel Sendai Plaza
錦町公園から見たホテル(2010年3月)
錦町公園から見たホテル(2010年3月)
ホテル概要
運営 ホテル仙台プラザ
所有者 MRMホテル特定目的会社
前身 陸奥別館青木ホテル
青木ホテル
仙台セントラルホテル
階数 地下2階 - 地上15階
レストラン数 6軒
部屋数 177室=洋室175室+和室2室
シングル数 83[注釈 1][1]
ダブル数 10[注釈 2][1]
ツイン数 80[注釈 3][1]
スイート数 4[注釈 4][1]
敷地面積 4,740 m²
延床面積 17,530 m²
駐車場 100[1]
開業 1888年明治21年)
閉業 2011年平成23年)3月13日
最寄駅

JR仙台駅より徒歩15分/タクシー5分

地下鉄南北線 勾当台公園駅より徒歩3分
最寄IC 東北自動車道仙台宮城IC
所在地 〒980-0014
宮城県仙台市青葉区本町2丁目20-1
位置 北緯38度15分57.7秒 東経140度52分27.6秒
公式サイト 公式サイト
1975年度(昭和50年度)撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
写真右下に新築移転して改称したばかりの「ホテル仙台プラザ」が写っている。ホテルの右には錦町公園1998年平成10年)まで存在した仙台市レジャーセンターが写っている。
その他、写真中央に勾当台通クランク解消前の勾当台公園、写真左上に仙台市役所、中央上に高層ビル化前の宮城県庁舎などが写っている。なお、当写真は仙台市電の営業最終年度に撮影されており、定禅寺通の勾当台通より東側の併用軌道区間には現在のような街路樹が植栽された中央分離帯が無い。

概要

仙台市都心部を見下ろす高台(JR仙台駅から徒歩15分・タクシー5分[1][注釈 5])に立地し、隣接する錦町公園を借景としていた。徒歩圏に宮城県庁仙台市役所・仙台合同庁舎[注釈 6]・仙台第二合同庁舎[注釈 7]など官公庁が多かった。国際会議対応のメイン宴会場「松島」(立席で2千人収容)を備え[1]、地元政財界の大規模会合に使われてきた[4]

地元では「プラザホテル」「仙台プラザ」などと略称されていた。

斎藤報恩会館(斎藤報恩会自然史博物館財団法人斎藤報恩会事務所、貸会議室など)が、当ホテルの下層階と外観を統一し、連接して建っていた[注釈 8]

当ホテルの跡地は、隣接地も含め、NHK仙台放送局(仙台放送会館。2017年竣工)の敷地となっている。

館内

15階
  • 2011年3月の閉館時[5]
鉄板焼「メープル」
当ホテルは、1975年の竣工時には仙台市有数の高層建築であり、かつ高台に立地するため、15階のレストランから仙台市街地と太平洋を一望できた。
14階-4階
  • 客室
3階
  • メイン宴会場:松島(立席で2千人収容。東、西、南に区画可能)[1]
2階
  • 宴会場:けやき(東、西に区画可能)、あおい、花梨、もみ・たけ・はぎ[1]
1階
  • フロント
  • ロビー
  • 2011年3月の閉館時[5]
    • レストラン「セレーナ」
    • 中国餐庁「北京」
    • 和食「万作」
    • ティーラウンジ
    • メインバー「オークルーム」

沿革

前史

1887年明治20年)12月15日日本鉄道本線(現・JR東北本線)が仙台区(現・仙台市)に開通するのに合わせ、仙台停車場前(現・JR仙台駅西口)には、旅館やホテルが次々開業した。開通同年に旅籠大泉屋」が支店を旧・仙台ホテル(現・EDEN[6])の場所に開業、翌1888年(明治21年)には日本鉄道が「陸奥ホテル」を駅前南町通[注釈 9]に創業[7]した。さらに1890年(明治23年)3月19日、仙台停車場構内に日本鉄道が「仙台陸奥館」を開業[8]1892年(明治25年)7月21日には、仙台駅前広場北側[注釈 10]に日本鉄道が純和風の旅館を建て、こちらを(新)陸奥ホテルとした[7](以上の旅館・ホテルの開業年や施設名には諸説あり[8])。

陸奥別館青木ホテル

(旧)陸奥ホテルは、1888年(明治21年)[8]に青木助三郎[注釈 11]に売却されて「陸奥別館青木ホテル」と改称し、当ホテルの源流となった[7][注釈 12]

青木ホテル

陸奥別館青木ホテルは、1945年昭和20年)7月10日仙台空襲で被災したが、翌1946年(昭和21年)に「青木ホテル」として再興された[7]占領期には、進駐軍のキャンプ・センダイ(旧:仙台城二の丸/現:東北大学川内キャンパス)、キャンプ・シンメルフェニヒ(旧:東京第一陸軍造兵廠 仙台製造所:現 陸上自衛隊 仙台駐屯地)、キャンプ・ファウラー(旧:歩兵第4連隊/現:榴岡公園)などがあったこともあり、GHQ/SCAP鉄道司令部 (Railway Transportation Office; RTO) の斜向かいにある[9]当ホテルは全国に8つしかないバイヤーズ・ホテル貿易庁所轄。外国人客の遊興飲食税が5割引きされるホテル[10])に指定された[7]1951年(昭和26年)には、東北地方初の国際観光ホテル整備法登録ホテル(政府登録ホテル)となった[7]

仙台セントラル・ホテル

1960年(昭和35年)5月、青木ホテルは建物を自社保有の鉄筋コンクリート9階建てビル[11]三和銀行仙台支店が1階に入居し、ビル屋上塔屋に「三和銀行」と大書された[11][注釈 13]に改築し、その1階・8階・9階に[11]仙台セントラル・ホテル」を新たに開業した[13]

開業時の仙台セントラル・ホテルは

  • 「9階建の高層建築は仙台駅を見下ろしている」[11]
  • 「最近新築されたこのホテルは、近代設備を全て備えている。仙台が誇っても良いホテルだ」[11]

という威容を誇り、主だった社員は、開業前に東京京阪神の一流ホテルで研修を受けて「ホテルマン」の名に恥じない素養を身に付けていた[11]

1960年の仙台における本格的なホテルは、電力ビル(1階・7階・8階・9階)で1960年8月に開業した[14]グランド・ホテル仙台(洋室73室+和室3室=76室、宿泊客数120名[14])、1960年5月に開業した仙台セントラル・ホテル(洋室35室+和室8室=43室、宿泊客数67名[15])の2つだけであった[11][16][注釈 14]

当ホテルの開業

仙台セントラル・ホテルは、1975年(昭和50年)に仙台駅前を離れ、宮城県庁仙台市役所・2棟の合同庁舎が居並ぶ官庁街に接し、仙台市都心部を見下ろす高台(仙台駅から徒歩15分・タクシー5分[1][注釈 5])に新築した自社保有の15階建てビルの全フロアを占める、東北地方で最初のシティホテルホテル仙台プラザ」として新たに開業した[2](開業時の客室数は211室・宿泊客数は292名[12])。同年12月27日に政府登録ホテルに再登録された[18]

当ホテルは、東北地方を代表するホテルとして名声を博した[2]

当ホテルの閉館

2011年(平成23年)3月7日に「同年3月25日付の閉館」を発表した後の3月9日、最期の晴れ姿を見せていた当ホテル。2日後の3月11日に東日本大震災が発生し、帰宅困難者を緊急的に保護した当ホテルは、3月13日に前倒しで閉館してその歴史を終えた。

開業から30年あまりが過ぎた2007年平成19年)2月、経営不振に陥っていた当ホテルは、ミレアホールディングス(2008年6月以降は東京海上ホールディングス)傘下の東京海上日動火災保険の関連会社であるMRMホテル特定目的会社(東京都)に29億5千万円で土地・建物を売却し、リースバック方式で営業することになった[19]。また、2009年(平成21年)に当ホテルの建物を取り壊し、ミレアHD関連会社が同地に新築する商業ビルにアップスケールして入居し直し、仙台一番町プロジェクト(現:仙台トラストシティ)に進出する外資系ホテル(現:ウェスティンホテル仙台)などに対抗して営業を続ける計画だった[20]。しかし、2008年9月15日に発生したリーマン・ショック以降の世界同時不況により計画が頓挫[20]。東京海上ホールディングスとの間で、賃料や条件面について断続的に協議が続いていた[20]

2011年(平成23年)3月7日、賃料不払いを理由に債権が差し押さえられたホテル側は、経営悪化などを理由に同年3月25日を以って閉館すると発表[4][20]。宴会など約400件がキャンセルとなり[20]非正規を含む従業員全180人を同年4月6日付けで解雇することが決定された[21]。同年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生すると隣接する錦町公園に避難していた保育園児や帰宅困難者等をホテル内に招き入れ、布団・毛布・食事の提供を続けたが、同年3月13日朝に避難者に退去してもらい、同日午前10時に前倒しで閉館した[22]

同年8月1日までに、当ホテルの運営会社は仙台地裁自己破産を申請して倒産した(負債総額は8億円)[23]

NHKは、2011年9月1日までに、当ホテルの跡地(約5500平方メートル)を東京海上ホールディングス傘下の特定目的会社から35億円で取得した[24]。さらにNHKは、当ホテルの跡地に隣接する仙台市の市有地(約1000平方メートル)を5億円で取得した[25]

当ホテルの建物は2012年(平成24年)に解体され、跡地にはNHK仙台放送局の新社屋(仙台放送会館)が建設された(2017年〈平成29年〉6月に竣工、2018年〈平成30年〉2月に業務開始)[26]

その他

アクセス

駐車場(ホテル地下、敷地内)は100台(大型バス5台含む)[1]。車寄せ(ポーチ)、正面玄関、および駐車場は定禅寺通に面していた[注釈 15]

周辺

脚注

注釈

  1. 14-17m2のシングルが53室、21m2のデラックスシングルが30室。
  2. 24-40m2
  3. 25.8-31m2のツインが77室、40m2のデラックスツインが1室。31.5-32m2の和室が2室。
  4. 57.4m2のジュニアスイートが4室、83.2m2のスイートが1室。
  5. 当ホテルが開館した翌年の1976年(昭和51年)3月31日仙台市電が廃止されるまでは、当ホテルの至近距離に「レジャーセンター前」停留所があった。
  6. 中央官庁の出先機関が入居する「仙台合同庁舎」(1970年竣工、低層ビル)は、当ホテルの閉館後の2015年に「仙台合同庁舎B棟」(17階建ての高層ビル)が竣工したことで「仙台合同庁舎A棟」に改称された[3]
  7. 中央官庁の出先機関が入居する「仙台第二合同庁舎」は、1973年竣工、15階建ての高層ビル。
  8. 当ホテルと郵便番号が同じで、住所は仙台市青葉区本町2丁目20番2号と、号数のみ異なる。
  9. 現在、仙台ロフトが核テナントとして入る仙台駅前開発ビルの南東角。
  10. 現在の仙台マークワン南東角。
  11. 当ホテルは、2021年の閉館まで、青木助三郎の子孫が経営していた。
  12. 1896年(明治29年)には、陸奥別館青木ホテルの北側隣接地に東北地方で最初の洋式ホテルである「仙台ホテル」が開業した。仙台ホテルと当ホテルは、昭和から平成の仙台を代表するホテルであった。
  13. 1975年(昭和50年)に新築移転して開館したホテル仙台プラザは、三和銀行の助力を得て、東京や大阪に「案内所」を設けていた[12]
  14. 昭和から平成にかけての仙台で当ホテルと共に最高の格式を誇った仙台ホテル(地元資本)は、1961年(昭和36年)時点では、2階建て、洋室21室+和室4室=25室の「こじんまりとしたホテル」[17]であった[17]
  15. 斎藤報恩会博物館(1933年-1976年)のポーチは東三番丁側(南西側)にあり、上町段丘にある建物全体が段丘崖下の中町段丘にある旧城下町中心部を見下ろす形だった。ホテル仙台プラザ(1975年-2011年)および斎藤報恩会自然史博物館(1976年-2009年)のポーチは、定禅寺通が明治中期に延長された区間側(北側)に変更された。

出典

  1. ホテル仙台プラザ(概要) (PDF). 公益財団法人 仙台観光コンベンション協会. 2015年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月5日閲覧。
  2. ホテル仙台プラザが閉館:13日、巨大地震で前倒し”. 日本経済新聞. 2023年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月5日閲覧。
  3. 東北財務局 所在地・交通アクセス”. 東北財務局. 2023年8月5日閲覧。
  4. ホテル仙台プラザ25日閉館 賃貸契約協議こじれる”. 河北新報 (2011年3月7日). 2011年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月23日閲覧。
  5. 36年間ありがとうございました(2011年3月7日 閉館挨拶)”. ホテル仙台プラザ. 2011年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月5日閲覧。
  6. EDEN
  7. ホテル仙台プラザの歴史(ホテル仙台プラザ)
  8. 仙台にはじめて建ったホテルについて知りたい (PDF). 仙台市図書館. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月15日閲覧。
  9. 資料館ノート「なつかし仙台2」仙台市歴史民俗資料館
  10. 第1号 昭和36年12月5日 梶本説明員の発言(第39回国会 衆議院 運輸委員会観光に関する小委員会)
  11. 「仙台セントラル・ホテル」『ホテル旅行』秋元書房、1966年、84頁。
  12. 「新入会ホテル紹介:ホテル仙台プラザ(登ホ第378号)」『ホテル・レビュー』No.311 APR. 1976、日本ホテル協会、1976年、26頁。
  13. 「青木ホテルはセントラル・ホテルと改称し四月より開業」『ホテル・レビュー』No.118 FEB. 1960、日本ホテル協会、1960年、31頁。
  14. 「グランド・ホテル仙台の明細」『ホテル・レビュー』No.127 NOV. 1960、日本ホテル協会、1960年、6頁。
  15. 「仙台セントラル・ホテル近く開業」『ホテル・レビュー』No.120 APR. 1960、日本ホテル協会、1960年、26-27頁。
  16. 「グランド・ホテル仙台」『ホテル旅行』秋元書房、1961年、83頁。
  17. 原勉「仙台ホテル」『ホテル旅行』秋元書房、1961年、85頁。
  18. 登録ホテル・旅館のご案内「宮城県 ホテル」日本観光協会
  19. ホテル仙台プラザ MRM社に売却 リースで営業継続河北新報 2007年4月21日)
  20. 仙台の老舗ホテル閉館へ 経営悪化、全従業員を解雇”. 共同通信社 (2011年3月7日). 2011年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月23日閲覧。
  21. ホテル仙台プラザの解雇従業員(26面)(河北仙販「河北新報ひろいよみ」)
  22. ホテル仙台プラザが閉館 13日、巨大地震で前倒し”. 日本経済新聞 (2011年3月13日). 2022年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月23日閲覧。
  23. ホテル仙台プラザ、破産を申請 負債8億円河北新報 2011年8月2日)
  24. ホテル仙台プラザ跡地、NHKに売却”. 日本経済新聞 (2011年9月1日). 2022年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月23日閲覧。
  25. 新仙台放送会館用地の隣接地取得について (PDF). 日本放送協会 (2012年1月31日). 2022年9月23日閲覧。
  26. <NHK>仙台局新会館が完成 現地で式典”. 河北新報社 (2017年6月6日). 2017年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月15日閲覧。
  27. 「ゴールデンウィークecoきっぷ2010」発売(仙台市交通局)
  28. 飯島賢二の「恐縮ですが…一言コラム」:第336 回 名将ノムさんの損得勘定は、いかに? (PDF). 飯島経営グループ(税務・経営コンサルティング・保険・NPO) (2009年11月1日). 2015年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月17日閲覧。
  29. ホテル仙台プラザの味継承 一番町で再出発”. 河北新報. 2014年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月20日閲覧。
  30. ホテル仙台プラザ 公式サイト:アクセス方法”. ホテル仙台プラザ. 2011年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月18日閲覧。

関連項目

外部リンク

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