マッチャーヌ級潜水艦
マッチャーヌ級潜水艦(泰: เรือดำน้ำชั้นมัจฉาณุ, 英: HTMS Matchanu class submarine)は、タイ海軍の潜水艦。
| マッチャーヌ級潜水艦 | |
|---|---|
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| 艦級概観 | |
| 艦種 | 潜水艦 |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 水上375t、水中430t |
| 全長 | 51.0m |
| 機関 | ディーゼル/電動機2基2軸 水上:1,000馬力 水中:540馬力 |
| 速力 | 水上:15.7kt 水中:8.1kt |
| 航続距離 | 水上:10ktで4,770海里 |
| 燃料 | 重油:282トン |
| 乗員 | 29名 |
| 兵装 | 8cm単装砲1門 45cm魚雷発射管 艦首4門 魚雷8発 |
| 備考 | 安全潜航深度:60m |
概要
海軍の近代化を進めていたシャム王国海軍が、1935年に潜水艦建造を国際入札にかけ、帝国海軍による乗組員訓練付きで三菱重工が落札した。
1937年から1938年にかけて、三菱重工業神戸造船所で4隻が竣工した。なお、造船所の名を取って「三菱型」とも呼ばれる。現在に至るまで、日本が建造した唯一の輸出潜水艦である。 設計・性能は、当時の日本製潜水艦に準じるが、発令所の下方にセーフティ・タンクを設け、緊急時の急速浮上に万全を期した設計となっていた。
就役から戦中
1・2番艦は1936年5月6日に起工し、同12月24日に進水。1937年9月4日に竣工、引き渡しが行われ、タイ海軍は『潜水艦の日』として記念日に制定した。その後3・4番艦も竣工し、1938年6月に彼らの手により神戸を出港、3週間掛けて台湾とフィリピンを経由してバンコクへ無事到着し、7月19日に就役した。
1940年の仏領インドシナとの国境紛争では哨戒任務に、1945年のバンコク空襲後には、搭載発電機で市街に電力供給を行った。大きな戦闘に従事することはなく、4隻全てが終戦を迎えている。
戦後

タイ海軍博物館のマッチャーヌ艦橋
日本の敗戦によりメンテナンスに支障を来したこと、1951年の海軍クーデター(マンハッタンの反乱)失敗のあおりを受け、1951年11月30日、4隻とも退役、後に解体された。
現在は、1番艦「マッチャーヌ」の艦橋と単装砲がタイ海軍博物館に展示されている。
艦名
艦名はタイの古典文学(ラーマキエン、プラ・アパイ・マニー、クン・チャーン=クン・ペーン)から採られ、1番艦のマッチャーヌはハヌマーンの息子にちなんでいる。
- 1番艦:マッチャーヌ(มัจฉานุ)
- 2番艦:ウイルン(:วิรุณ)
- 3番艦:シンサムッタ(สินสมุทร)
- 4番艦:プライ・チュンポーン(พลายชุมพล)
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