マヌエル・パブロ

マヌエル・パブロ・ガルシア・ディアス(Manuel Pablo García Díaz、1976年1月25日 - )は、スペインカナリア諸島アルカス出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF

マヌエル・パブロ
デポルティーボ・ラ・コルーニャでのマヌエル・パブロ (2008年)
名前
本名 マヌエル・パブロ・ガルシア・ディアス
Manuel Pablo García Díaz
ラテン文字 Manuel Pablo
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1976-01-25) 1976年1月25日(48歳)
出身地 アルカス
身長 176cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF (RB)
利き足 右足
ユース
スペインの旗 ラス・パルマス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1996 スペインの旗 ラス・パルマスB
1994-1998 スペインの旗 ラス・パルマス 57 (1)
1998-2016 スペインの旗 デポルティーボ・ラ・コルーニャ 383 (1)
通算 440 (2)
代表歴
1997  スペイン U-21 1 (0)
1997  スペイン U-23 2 (0)
2000-2004 スペインの旗 スペイン 13 (0)
監督歴
2018- スペインの旗 デポルティーボ・ラ・コルーニャB (アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

経歴

カナリア諸島ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア出身であり、1996年に地元のUDラス・パルマスからデビューした。まだ22歳だった1998年にデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍したが、実際には同時期にUDラス・パルマスからデポルティーボに移籍したアルゼンチン人FWホセ・オスカル・フロレス(José Oscar Flores)のおまけという扱いに過ぎなかった。1998年11月15日のデポルティーボ・アラベス戦(2-2)でプリメーラ・ディビシオンデビューし、アルマンド・アルバレスとポジション争いを繰り広げた。1998-99シーズンはリーグ戦14試合の出場だったが、クラブにアルマンドを放出させるのに十分な活躍であった。1999-2000シーズンと2000-01シーズンはリーグ戦計74試合に出場し、デポルティーボ守備陣で重要な役割を担った。1999-2000シーズンにはクラブ初のリーグ優勝を果たした。これらの活躍から、2000年8月16日、ドイツとの親善試合(1-4)でスペイン代表デビューした。2001年夏にはレアル・マドリードから獲得のオファーがあったものの、デポルティーボのレンドイロ会長に「うちのマヌエル・パブロはジダンより高い」と言わしめ、結果デポルティーボに残留した。2001年9月30日、セルタ・デ・ビーゴとのガリシアン・ダービーでエヴェルトン・ジョヴァネッラと接触し、腓骨と脛骨を骨折して負傷退場した[1]。2001-02シーズンの残り試合を欠場することになり[2]、選手生命を危ぶまれるほどの怪我であったが、長期に渡るリハビリの末、2002-03シーズンのコパ・デル・レイCDコッラレホ戦で90分間プレーして復帰した。ハビエル・イルレタ監督は2002年10月6日のラシン・サンタンデール戦(0-2)でリーグ戦にも復帰させ、試合終了間際のわずかな時間だけプレーした。2003-04シーズン終盤には完全に回復したことを証明した。2004年4月7日、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝のACミラン戦セカンドレグ(4-0)では好調なプレーを見せた。2004-05シーズン以降はエスタディオ・リアソールに不可欠な右サイドバックであり、2006-07シーズン前半戦はアルバロ・アルベロアとのポジション争いとなったが、2007年1月にはアルベロアがリヴァプールFCに旅立った。2008-09シーズンはラウレとポジションを争ったが、2007-08シーズンと2008-09シーズンも右サイドバックのレギュラーであった。長期の交渉の末、2009年5月中旬にはクラブとの契約を2年間(1年間のオプション付き)延長した[3]

タイトル

クラブ

デポルティーボ・ラ・コルーニャ

脚注

  1. Giovanella visitó a Manuel Pablo Terra.es、2001年10月2日(スペイン語)
  2. Buoyant United ready for Deportivo UEFA.com Archived 2007年5月27日, at the Wayback Machine.
  3. Manuel Pablo renueva por dos temporadas Marca、2009年5月11日(スペイン語)

外部リンク

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