マリー・フォン・ヘッセン=カッセル (1804-1888)

マリー・フォン・ヘッセン=カッセル(ドイツ語: Marie von Hessen-Kassel, 1804年9月6日 - 1888年1月1日)は、ドイツのヘッセン=カッセル家の侯女で、ザクセン=マイニンゲン公ベルンハルト2世の妃。

マリー・フォン・ヘッセン=カッセル
Marie von Hessen-Kassel
ザクセン=マイニンゲン公妃
在位 1825年3月23日 - 1866年9月20日

出生 (1804-09-06) 1804年9月6日
ヘッセン選帝侯国、カッセル
死去 (1888-01-01) 1888年1月1日(83歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
ザクセン=マイニンゲン公国、マイニンゲン
配偶者 ベルンハルト2世
子女 ゲオルク2世
アウグステ
家名 ヘッセン=カッセル家
父親 ヴィルヘルム2世
母親 アウグステ・フォン・プロイセン

生涯

ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム2世とその妻でプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の娘であるアウグステの間の第5子、三女として生まれた[1]。全名はマリー・フリーデリケ・ヴィルヘルミーネ(Marie Friederike Wilhelmine)。ヘッセン選帝侯夫妻は6人の子どもをもうけたが、そのうち4人は夭折し、5歳を過ぎても育っていたのは兄フリードリヒ・ヴィルヘルムとマリーだけだった。しかし父がライヒェンバッハ=レッソニッツ伯爵夫人エミーリエと関係を持っていたことで8人の異母弟妹がいた。

1822年、母の友人であるスウェーデンの伯爵夫人シャルロッタ・アウロラ・ドゥ・イェールからスウェーデン王太子オスカル(後のオスカル1世)との縁談が持ち込まれたが成立せず、代わりにオスカルは翌年にロイヒテンベルク公女ヨゼフィーネと結婚した[2]。

1825年3月23日にカッセルでベルンハルト2世と結婚し[1]、ザクセン=マイニンゲン公妃(Herzogin von Sachsen-Meiningen)となった。夫はザクセン=マイニンゲン公ゲオルク1世とその妃のホーエンローエ=ランゲンブルク侯女ルイーゼ・エレオノーレの間の息子で、イギリス王ウィリアム4世の王妃アデレードの弟だった。夫妻の間には1男1女の2人の子女が生まれた。長男ゲオルクは1843年に長女アウグステが生まれるまで17年間きょうだいはいなかった[3]。1882年に夫が亡くなって未亡人となり、6年後の1888年正月に83歳で死去した。

子女

  • ゲオルク2世(1826年 - 1914年) - ザクセン=マイニンゲン公
  • アウグステ(1843年 - 1919年) - 1862年、ザクセン=アルテンブルク公子モーリッツと結婚

脚注

    1. Lundy, Darryl. “The Peerage: Marie Friederike Wilhelmine Prinzessin von Hessen-Kassel”. 2009年12月17日閲覧。
    2. Robert Braun (1950). Silvertronen. En bok om drottning Josefine av Sverige-Norge. Stockholm: Norlins förlag. Sid. 27–30. OCLC 14110774
    3. Koller, p. 30.

    参考文献

    外部リンク

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    先代
    ルイーゼ・エレオノーレ・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク
    ザクセン=マイニンゲン公妃
    1825年 - 1866年
    次代
    フェオドラ・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク
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