マリー・ヴィグマン

マリー・ヴィグマン(Mary Wigman、本名:カロリーネ・ゾフィー・マリー・ヴィグマン、 1886年11月13日 - 1973年9月18日)は、ドイツのダンサーであり、振付師、インストラクター、ダンスセラピスト。ワイマール期のドイツ表現主義舞踊、ノイエタンツ「タンツテアター」創始者として知られる。

アブラハム・ピザレック撮影(1946年)

人物1886年 ドイツのハノーファーに生まれた。

レオ・フォン・ケーニヒ画「マリー・ヴィグマン」(1912年)
モンテ・ヴェリタ(スイスの丘)で踊るマリー(1913年~1918年)
1922年
1923年
ヒューゴ・エアフルト撮影(1926年)
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー画。ヴィグマンがモデルの「死の舞踏」(1926~1928年)
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー画「踊るメアリー・ウィグマン」(1933年)
マリー・ヴィグマン切手(1986年)

評価

「マリー・ヴィグマン舞踊学校」はルドルフ・フォン・ラバン(主にダンスの記譜法)とエミール・ジャック=ダルクローズ(主にリズム感)の理論を融合し、実践するもので、ダンス界に革新の風を起こした。ダンスの記譜法によって、「ダンスをシステム化し、他人にもそれを教える事ができる」、「誰にでも踊る事が出来ることの証明」、「ソロダンスからグループダンスへの移行」という順を踏み、西欧ダンス界の権威であるバレエに対するレジスタンスとして、モダンダンスの裾野を広げた。この学校は、イヴォンヌ・ゲオルギー、ハンヤ・ホルムハラルド・クロイツベルク グレット・パルーカ マックス・ターピス(Max Terpis)マルガレーテ・ヴァルマンなどを輩出した。

作品にインドやタイ、アフリカ、中国から、ファイフ、ベル、ゴング、太鼓などの非西欧の楽器を持ち込んだ。伴奏として用いられた楽器として、特筆すべきものはパーカッションで、ダンスの沈黙の部分を大いに引き立たせた。また仮面を用いることも多かった。これもまた、非西欧、部族的なモチーフに影響されたもので、我を忘れたような錯乱した動きにその一端が見える。

ヴィグマン左(1959年)
西ベルリン、メアリーウィグマン-スタジオ(1959年)

暗黒舞踏の源流

江口隆哉、宮操子が、1931年ドイツ留学「マリー・ヴィグマン舞踊学校」在籍、1934年『江口・宮舞踊研究所』を設立、大野一雄が学んだ。

振り付け作品

関連項目

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