マルガレーテ・フォン・ブランデンブルク (1450-1489)
マルガレーテ・フォン・ブランデンブルク(Margarete von Brandenburg, 1449/50年 - 1489年)は、ポメラニア公ボギスラフ10世の妃。
| マルガレーテ・フォン・ブランデンブルク Margarete von Brandenburg | |
|---|---|
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| 出生 |
1449/50年 |
| 死去 |
1489年 |
| 配偶者 | ポメラニア公ボギスラフ10世 |
| 家名 | ホーエンツォレルン家 |
| 父親 | ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ2世 |
| 母親 | カタリーナ・フォン・ザクセン |
生涯
マルガレーテは、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ2世(1413年 - 1471年)とザクセン選帝侯フリードリヒ1世の娘カタリーナ(1421年 - 1476年)との間に次女として生まれた。フリードリヒ2世の4人の子供のうち生き残ったのはマルガレーテと姉のドロテアの2人だけであった。
1477年9月20日にプレンツラウにおいてポメラニア公ボギスラフ10世(1454年 - 1523年)と結婚した。1474年、ボギスラフ10世がフリードリヒ2世に対し臣下の礼を拒否したため、ブランデンブルクはポメラニアとの戦争を開始した。1476年5月1日、和平交渉中にボギスラフ10世がマルガレーテと結婚することが決められた[1]。ボギスラフ10世にとって結婚は重荷であり、非常に低い金額で合意がなされたが、それすらも支払われることはなかった。結婚の1年後、ボギスラフ10世の叔父ヴァルティスラフ10世が亡くなり、ボギスラフ10世は約200年ぶりにポメラニアの唯一の統治者となった。1479年、ボギスラフ10世は妻の叔父アルブレヒト・アヒレスとの間でプレンツラウ条約を締結し、ブランデンブルク選帝侯を上級領主として認めた。
夫妻には子供がいなかったため、夫はマルガレーテを不貞の疑いで告発し、縁を切った[2]。これによりブランデンブルク選帝侯との間で政治的緊張が生じた。選帝侯はマルガレーテの持参金の返還を要求した。一方、ボギスラフ10世は、ホーエンツォレルン家がポメラニアの相続権を得るために、不妊の娘を妻として与えたと主張した[3]。1479年の和平交渉の間に、ボギスラフ10世はついにマルガレーテとの結婚を解消した。
脚注
- Karl Heinrich Ludwig Pölitz: Handbuch der Geschichte der souverainen Staaten des teutschen Bundes, vol. 1, Weidmann, 1818, p. 146
- Peter Treichel: 800 Jahre Pommern und seine Nachbarn, 2009, p. 112
- F. Voigt: Geschichte des brandenburgisch-preussischen Staates, F. Dummler, 1860, p. 161
参考文献
- Friedrich Wilhelm Barthold: Geschichte von Rügen und Pommern, vol. 4, F. Perthes, 1843
- Wilhelm Ferdinand Gadebusch: Chronik der Insel Usedom, W. Dietze, 1863, p. 96
