マルコム・ブラウン

マルコム・ブラウン(英語: Malcolm Wilde Browne、1931年4月17日 - 2012年8月27日)は、アメリカのジャーナリスト、写真家。1963年にベトナムの僧ティック・クアン・ドックの焼身自殺を撮影した写真で世界報道写真大賞を受賞し、翌1964年ピューリッツァー賞を受賞した。

マルコム・ブラウン
生誕 Malcolm Wilde Browne[1]
(1931-04-17) 1931年4月17日
ニューヨーク[1]
死没 (2012-08-27) 2012年8月27日(81歳没)
ニューハンプシャー
国籍 アメリカ
職業 ジャーナリスト、写真家
家族 妹、弟二人

生い立ち

1931年、ニューヨークに生まれ育つ。母親は戦争に強く反対するクェーカー教徒で、父親はカトリックの建築家であった。ブラウンは、幼稚園から高校3年(12年生)までマンハッタンにあるクェーカーの神学校"フレンズ・セミナリー(Friends Seminary)"に通い、卒業後はペンシルバニアにあるクェーカーの大学で化学を専攻した[1]。

キャリア

朝鮮戦争に徴兵され[2]、スターズ・アンド・ストライプス(星条旗新聞)で2年間働いたことから、ブラウンのジャーナリストとしてのキャリアが始まった。その後、ニューヨーク州オレンジ郡ミドルタウンのタイムズ・ヘラルド=レコード社勤務を経て[3]、1959年から1961年までボルチモアのAP通信社で働き、後にAP通信インドシナ支局長の職にも就いた。ピューリッツァー賞受賞後は仕事の依頼を数多く受けるようになり、1965年にAP通信を退社した。

AP通信を退社した後、ブラウンはABCテレビで一年ほど働いたが、テレビのジャーナリズムに満足できなくなり[1]、数年の間フリーランスのジャーナリストとなる。一方で、コロンビア大学の国際関係評議会の研究員をしばらくの間務めた。1968年、ブラウンはニューヨーク・タイムズ社に入社し、1972年には南アメリカ特派員となっている。ジャーナリストになる前化学を専攻していたブラウンは、1977年科学ジャーナリストとして米科学誌ディスカバーの編集主任を務めた。その後、1985年に古巣のタイムズ・ヘラルド=レコード社に戻り、1991年には湾岸戦争報道を担当した。

2012年8月27日、ニューハンプシャー州の病院で死去[4]。81歳没。

受賞

著作

  • Browne, Malcolm W. Muddy Boots and Red Socks, Random House: New York, 1993, ISBN 0-8129-6352-0(自伝)[1]
  • Saigon's Finale (article on U.S. military defeat in Vietnam)
  • The New Face of War (Bobbs-Merrill,Indianapolis, 1965) ISBN 0-553-25894-X. - ベトナム戦争の戦術について

脚注

  1. Brian Lamb (1993年). “Video interview”. C-SPAN,. 2010年1月12日閲覧。
  2. “Reporting America at War . The Reporters . Malcolm W. Browne”. Public Broadcasting Service. 2008年6月14日閲覧。
  3. Burkhart, Wade; undated; About us, Times Herald-Record; retrieved August 29, 2009.
  4. The Associated Press 2012年8月28日閲覧
  5. “Malcolm W. Browne - World Press Photo”. WorldPressPhoto.org. 2008年6月14日閲覧。
  6. “Sigma Xi: The Scientific Research Society: Malcolm W. Browne”. SigmaXi.org. 2008年6月14日閲覧。

外部リンク

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