ミハイル・ウリヤーノフ

ミハイル・アレクサンドロヴィチ・ウリヤーノフ(ロシア語: Михаил Александрович Ульянов, ラテン文字転写: Mikhail Alexandrovich Ulyanov, 1927年11月20日 – 2007年3月26日)は、ソビエト連邦およびロシアの俳優。 第二次世界大戦後のソ連演劇界・映画界を担った代表的俳優。ソ連共産党中央委員会のメンバーであり、ソ連演劇労働組合の議長をキリール・ラヴロフと共同で務めた。

ミハイル・ウリヤーノフ
Mikhail Ulyanov
Mikhail Ulyanov
1998年
本名 Михаил Александрович Ульянов
生年月日 (1927-11-20) 1927年11月20日
没年月日 (2007-03-26) 2007年3月26日(79歳没)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国の旗 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国、ベルガマク
死没地 ロシアの旗 ロシア、モスクワ
職業 俳優
ジャンル 舞台・映画
 
受賞
1982 ヴェネツィア国際映画祭特別賞

略歴

1927年に、現在のロシア・オムスク州にあるベルガマク村に生まれる。父アレクサンドル・アンドレーエヴィチ・ウリヤーノフ(Aleksandr Andreevich Ulyanov)は集団農場の委員長で、後にタラの市長になった人物である。父親がソ連共産党内で地位のある人物だったため、ウリヤーノフは幼い頃から恵まれた環境に育ち、本人も共産党員となる。

1946年、モスクワのヴァフタンゴフ劇場シチューキン演劇学校に入学し、演技を学ぶ。1950年に卒業すると、ヴァフタンゴフ劇場に参加し、1987年からは演出も務めるなど、2007年に亡くなるまで同劇場のメンバーだった。また、1956年から映画にも出演し、50本以上の作品に出演した。

1969年にはソ連人民芸術家の称号を得ている。また、1982年にはヴェネツィア国際映画祭特別賞を受賞している。

1969年(昭和44年)7月、『カラマーゾフの兄弟』のキャンペーンのため、来日している。

2007年にガンによる合併症により死去。

主な出演映画

  • その窓の灯は消えない Dom, v kotorom ya zhivu (1957)
  • カラマーゾフの兄弟 Bratya Karamazovy (1969)
  • ヨーロッパの解放/第1部 クルスク大戦車戦 Osvobozhdenie: Ognennaya duga (1970)
  • ヨーロッパの解放/第2部 ドニエプル渡河大作戦 Osvobozhdenie: Proryv (1970)
  • 帰郷 Beg (1971)
  • ヨーロッパの解放/第3部・大包囲撃滅作戦 Osvobozhdenie: Napravlenie glavnogo udara (1971)
  • エゴール・ブルイチョフ Yegor Bulychyov i drugiye (1972)
  • レニングラード攻防戦 Blokada: Luzhskiy rubezh, Pulkovskiy meredian (1975)
  • レニングラード攻防戦 II/攻防900日 Blokada: Leningradskiy metronom, Operatsiya Iskra (1978)
  • 解任 Chastnaya zhizn (1982)
  • ヴァーリヤ! 愛の素顔 Bez svideteley (1983)
  • モスクワ大攻防戦 Bitva za Moskvu (1985)

外部リンク

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