ミョールィ
ミョールィ(ベラルーシ語: Мёры)はベラルーシ・ヴィツェプスク州ミョールィ地区(ru)の市(Горад / ホラド)である。また同地区の行政中心地である[1]。

ミョールィ湖(ru)湖岸に位置し、州都ヴィツェプスクから西に190kmの位置にある。人口は2017年の時点で8001人[2]。
交通
ドルヤ(ru)とバラパエヴァ(ru)をつなぐ鉄道路線上の駅・ミョールィ駅(ru)がある。自動車道としては、ポラツクとブラスラウをつなぐР-14(ru)、ロシア国境(カストロヴァ(be))からコジャヌィ(ru)に至るР-18が市内を通る。
歴史
史料上の初出は1514年であり、リトアニア大公国のブレスラウヤ郡(ru)の1領地として名が記されている[注 1][注 2]。ミョールィとは、フィン・ウゴル系言語で「低地の湖」を意味する言葉が語源であるとする説がある[4]。また、16世紀より知られるミルスキー家(後にスヴャトポルク=ミルスキー家)の家名はミョールィに由来する[5][6]。
1793年の第2次ポーランド分割によって帝政ロシア領となり、ミンスク県ミンスク郡(ru)のメステチコとなった。その後1921年のリガ条約によってポーランド第二共和国領に、1939年の同国の消滅(ポーランド侵攻)により白ロシア・ソビエト社会主義共和国領となった。1939年の人口は約800人であり、うち600人がユダヤ人であった[7]。1941年7月3日から1944年7月4日にかけてナチス・ドイツ軍に占領されており[8]、ほぼ全てのユダヤ人がゲットー(ミョールィ・ゲットー(ru))に送られ、殺害された。
脚注
注釈
- 「ブレスラウヤ」はリトアニア語: Breslaujaによる。ベラルーシ語: Браслаў:ブラスラウ。
- 「領地」はロシア語: Поместьеの訳(他に封地・知行所の訳語があてられる)[3]。詳しくはru:Поместьеを参照されたし。
出典
- Миоры // Географическая энциклопедия
- Колькасць насельніцтва на 1 студзеня 2017 г. і сярэднегадавая колькасць насельніцтва за 2016 год па Рэспубліцы Беларусь у разрэзе абласцей, раёнаў, гарадоў і пасёлкаў гарадскога тыпу
- 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年。P772
- Умпирович, Дмитрий. Люди и птицы на болоте.
- Святополк-Мирские — владельцы Мирского замка
- 服部倫卓・越野剛編著 『ベラルーシを知るための50章』明石書店、2017年。P95
- А. Шульман. Миорские встречи
- Периоды оккупации населенных пунктов Беларуси
- МИОРЫ // Большой Энциклопедический словарь
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