ムルキー・アイン
概要
1854年、近代化の重要性を知ったジャンガ・バハドゥル・ラナが国王を通じる形で発布した[1]。
立法作業は1851年から弟や重臣を中心として始められ、最終決定はジャンガによってなされた[1]。
土地の測量・売買、農夫自らが土地を耕作する権利の付与、有罪無罪を決定する神がかり的悪習、迷信の禁止、拷問の禁止、殉死の禁止をさだめるなど[1]、近代的かつ刑法と民法の両面を併せ持つ法でもあった。
佐伯和彦はムルキー・アインを定めたことは、ジャンガの最大の功績と述べている[1]。
脚注
- 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.562
参考文献
- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。
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