ヨハン (ザクセン選帝侯)

生涯

1468年にマイセンで、エルンストとその妃であったバイエルン公アルブレヒト3世の公女エリーザベト(1443年 - 1486年)の第5子として生まれた。マルティン・ルターの庇護者として名高い兄フリードリヒ3世(賢明公)には正妻がいなかったため、1525年に兄が死去すると選帝侯位を嗣いだ。渾名「不変公」が示すとおり、ヨハンは兄が採った宗教改革への支持を継続した。1527年にルター派をザクセンの国教会に定めたほか、1531年には長男ヨハン・フリードリヒがヘッセン方伯フィリップ1世(寛大伯)らとともにシュマルカルデン同盟を結成している。

ヨハンは1532年8月16日にヴィッテンベルクのシュヴァイニッツ城で死去し、ヴィッテンベルク城教会に葬られている。

子女

1500年3月1日に結婚した最初の妃ゾフィー(1481年 - 1503年、メクレンブルク=シュヴェリーン公マグヌス2世の娘)との間に1男をもうけた。

1513年11月13日に結婚した2番目の妃マルガレーテ(1494年 - 1521年、アンハルト=ケーテン侯ヴァルデマール6世の娘)との間に以下の子女をもうけた。

長子ヨハン・フリードリヒが選帝侯位を嗣いだ。

先代
フリードリヒ3世(賢明公)
ザクセン選帝侯
1525年 - 1532年
次代
ヨハン・フリードリヒ(度量公)
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