ラフマン・レザイー

ラフマン・レザイー(ペルシア語: رحمان رضائی‎, ラテン語: Rahman Rezaei, 1975年2月20日 - )は、イラン・エスファハーン出身の元同国代表の元サッカー選手。長年プレーしたイタリアでは、そのパフォーマンスから国防大臣の愛称で親しまれた[1][2]。

ラフマン・レザイー
名前
愛称 国防大臣
ラテン文字 Rahman Rezaei
ペルシア語 رحمان رضايی
基本情報
国籍 イランの旗 イラン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1975-02-20) 1975年2月20日(48歳)
出身地 エスファハーン
身長 178cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
ユース
1991-1995 イランの旗 ナサージー・マーザンダラーン
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1995 イランの旗 バルグ・テヘラン  ? (?)
1995-1996 イランの旗 ラーフ・アーハン  ? (7)
1996-2001 イランの旗 ゾブ・アハン  ? (?)
2001-2003 イタリアの旗 ペルージャ 38 (5)
2003-2006 イタリアの旗 メッシーナ 108 (2)
2006-2008 イタリアの旗 リヴォルノ 21 (1)
2008-2009 イランの旗 ペルセポリス 13 (0)
2009-2010 カタールの旗 アル・アハリ・ドーハ 9 (1)
2010 イランの旗 シャーヒーン・ブーシェフル 6 (0)
2010-2012 イランの旗 ペイカーン 12 (1)
代表歴
2001-2009 イランの旗 イラン 56 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
ラフマン・レザイー

経歴

クラブ

同胞のナーセル・ヘジャージー監督に見出され、地元のゾブ・アハン・エスファハーンFCで5シーズン過ごした。2001年、イタリア・セリエAのACペルージャへ15万ユーロで移籍をした。

その後、セリエBのFCメッシーナに加入すると、すぐさま主力として活躍し同年のセリエA昇格に貢献。2004-05シーズンも変わらず主力として36試合に出場し、昇格組ながら中位入りに貢献した。メッシーナ加入から3シーズン過ぎた頃、2006年8月の終わりに同カテゴリーのASリヴォルノ・カルチョと1年契約を結んだ[3]。

2007-08シーズン終了後に放出されたレザエイは、2008年7月23日にUAEリーグのアル・アハリ・ドーハに同胞のラスール・ハティービーと共に1年契約で加入すると報じられた[4]が、8月になっても正式なサインをせずイタリアに残りたいと母国のメディアに語った[5]。しかし、自身が望んでいたセリエAのクラブからオファーは来ず、セリエBの数チームからのオファーが舞い込むものの、2部でプレーをするぐらいなら母国に戻ることを選択し[1]、7シーズン過ごしたイタリアを去り、11月16日に王者ペルセポリスFCと半年の契約を結んだ[6]。

2009年8月12日、34歳となったレザイーは1年契約・年俸70万ドルでカタールの昇格組アル・アハリ・ドーハへ移籍[2]。2010年にシャーヒーン・ブーシェフルFCと契約し、その半年後にペイカーンFCへ加入。2012年7月4日、現役引退した。

代表

2001年7月のボスニア・ヘルツェゴビナ戦でイラン代表デビュー[7]。2006 FIFAワールドカップ, AFCアジアカップ2007と守備の要だったが、前者のメキシコ戦で自身のトラップミスが起点となり[8]逆転され、最終的に1-3で敗れた[9]。後者の大会後、2007年4月6日に代表引退を表明したが、同年12月に復帰する意欲を語った[10]。

プライベート

2002年6月に結婚[11]。2006年4月にイタリアの市民権を取得した[12]。

脚注

  1. "Rezaei: Serie B Is Not For Me!"
  2. "Iran: Rahman Rezaei Moves To Qatar's Al Ahli"
  3. "リボルノが3人のDFと契約"
  4. "Iran's Rezaei Heads To UAE"
  5. "Rahman Rezaei: I Want To Stay In Italy"
  6. "Iran: Rahman Rezaei Is Now A Red"
  7. "レザエイがカタールのアル・アハリへ"
  8. "Iran boss rues defensive blunders"
  9. "Mexico 3-1 Iran"
  10. "Rahman Rezaei: I Intend to Return to the National Team"
  11. "Special Report on Rezaei's Wedding Party"
  12. "Buon Giorno Rahman!"

外部リンク

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