ラ・サール・ホーム

ラ・サール・ホームは、宮城県仙台市宮城野区東仙台にある児童養護施設である。運営は世界最大の学校運営団体であるキリスト教学校修士会(ラ・サール会)。

ラ・サール会は、日本国内では他に函館ラ・サール中学校・高等学校(北海道函館市)、ラ・サール中学校・高等学校(鹿児島県鹿児島市)を経営しているため、両者との混同回避のため慣例的に当施設を仙台ラ・サール・ホームとも呼ぶことがある。

ラ・サール像

沿革

概要

1932年(昭和7年)にラ・サール修道会のカナダ人修道士が来日し、函館市での学校設立を計画した。1934年(昭和9年)に同市で函館大火が発生し、当時の同市の人口約21万人に対して罹災人口10万人以上、死者2166人、焼損棟数11105棟という大惨事となった[1][2]。1936年(昭和11年)、一行は函館での学校設立を断念して本州へ渡り、仙台市に外国語学校を設置した。しかし、1941年(昭和16年)に太平洋戦争が始まると、外国人会員は抑留されてしまい、事業中止に追い込まれた。

戦後、第二次世界大戦で戦死したり仙台空襲等で被災したりして保護者を失った戦災孤児が宮城県内にも多数いたため、1947年(昭和22年)の児童福祉法に基いて宮城県庁がラ・サール会に要請し、1948年(昭和23年)に養護施設(旧・孤児院、現・児童養護施設)を東仙台駅近くの七北田丘陵の一部に設置した。これが現在のラ・サール・ホームの前身となっている。

当地は、聖書の中の「闇の中を歩む民は大いなる光を見る」に由来して「光ヶ丘」と呼ばれている[3]。「光ヶ丘」は、1932年(昭和7年)の東北本線・東仙台駅開業に伴って、1937年(昭和12年)まで組合土地区画整理事業が施行された東仙台地区の北側に隣接する丘陵地であり、1937年(昭和12年)にカトリック系の仙台神学校(明治期創立のプロテスタント系の東北学院の前身校も同名だが無関係)が設置され[4]、1938年(昭和13年)にはドミニコ会カナダ管区が修道院を設置している[5]。戦後占領期になると、仙台にも連合国軍(主に米軍)が進駐したが、1948年(昭和23年)には仙台神学校でミサを行っていたカトリック東仙台教会が進駐軍のカマボコ型兵舎を改造して聖堂を当地に建て[4]、さらに同年、上述のラ・サール会の養護施設「光ケ丘天使園」も設置された。また、1952年(昭和27年)頃に、ドミニコ会カナダ管区・カトリック北仙台教会の司祭が進駐軍やその家族から寄付を募り、来日中のフランシス・スペルマン枢機卿(ニューヨーク大司教)の援助を得て1955年(昭和30年)に結核病院(現・光ヶ丘スペルマン病院)を当地に設置した[3]。その他、光ヶ丘には善き牧者修道院やオタワ愛徳修道女会[6] など複数の修道院や関連施設があり、また、谷を挟んで北側にも1930年(昭和5年)からカトリック仙台司教区が所有するカトリック鶴ヶ谷墓地がある[7] など、当地は仙台のカトリック系宗教施設の密集地となっている。このような環境のためか、ラ・サール・ホームの隣接地には日本学生支援機構仙台第二国際交流会館の本館および別館が立地している[8]。

年表

交通

住所
  • 宮城県仙台市宮城野区東仙台6丁目12-2(北緯38度16分45.7秒 東経140度54分57.5秒)
アクセス

出身者

脚注

  1. 函館大火(函館市消防局)
  2. 昭和9年の大火概況(函館市史)
  3. 成り立ちと歩み(財団法人光ヶ丘スペルマン病院)
  4. カトリック東仙台教会(カトリック仙台司教区 仙台中央地区6教会合同公式ホームページ)
  5. カナダ管区のあゆみ(ドミニコ会カナダ管区)
  6. オタワ愛徳修道女会
  7. カトリック鶴ヶ谷墓地(仙台市中央市民センター)
  8. 仙台第二国際交流会館(独立行政法人日本学生支援機構)
  9. 1980年10月、住居表示施行。東仙台(昭55) (PDF) (仙台市「仙台市の住居表示実施状況」 2.実施地区名一覧《実施年降順》)

関連項目

外部リンク


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