リー・トーマス (野球)

ジェームズ・リロイ・トーマス(James Leroy "Lee" Thomas、1936年2月5日 - 2022年8月31日[1])は、アメリカ合衆国・イリノイ州ピオリア出身のプロ野球選手(外野手、内野手)、野球指導者、GM。右投左打。

リー・トーマス
Lee Thomas
ボストン・レッドソックスでの現役時代
(1965年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ピオリア郡ピオリア
生年月日 (1936-02-05) 1936年2月5日
没年月日 (2022-08-31) 2022年8月31日(86歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
198 lb =約89.8 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手、一塁手
プロ入り 1954年
初出場 MLB / 1961年4月22日
NPB / 1969年4月12日
最終出場 MLB / 1968年9月27日
NPB / 1969年9月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

プロ入り前

イリノイ州ピオリアで生まれ、セントルイスのボーモント高等学校を卒業する。

MLB時代

ニューヨーク・ヤンキースのスカウトであるルー・マグオーロの勧誘を受けて、1954年からヤンキース傘下のマイナーリーグでプレー[2]。マイナーリーグでは好成績を挙げるが、ヤンキースの強力な野手陣になかなか割り込むことができなかった。

1961年に初めてメジャーに昇格するが、わずか2試合出場したところで、同年5月8日にロサンゼルス・エンゼルスへトレードされる[1]。エンゼルスでは一躍外野手のレギュラーの座を掴み、打率.285、24本塁打の好成績を挙げた。9月5日のカンザスシティ・アスレチックスとのダブルヘッダーでは、11打席9安打の固め打ちで、特に第二試合では3本塁打8打点の猛打を披露[3]、ダブルヘッダーで9安打を挙げた8選手の一人となった[4]。翌1962年には、オールスターに初選出された。7月10日の第一試合では代打で登場するが凡フライに倒れ、7月30日の第二試合では終盤2イニングに左翼手として守備に就いたが、打席には立たなかった。同年、打率.290、26本塁打、104打点のキャリアハイを記録した。

1963年になると打率.220、9本塁打と不振に陥り、1964年のシーズン途中でボストン・レッドソックスへトレードされる。レッドソックスでは1964年は主に右翼手、1965年は一塁手を務め、1965年は打率.271、22本塁打、75打点と調子を取り戻している。1966年以降はアトランタ・ブレーブス、シカゴ・カブス、ヒューストン・アストロズとナショナルリーグでプレーするが、年々成績を落とした。

南海時代

1969年に南海ホークスに内野手として入団。開幕戦に「3番・一塁手」として出場し早速1号本塁打を放つと、4試合で16打数10安打、打率.625の固め打ちを見せる。しかし、好調は長続きせず、終盤は若手の高橋博に定位置を譲り、シーズンでは打率.263、12本塁打の平凡な成績に終わる。チームの若返り策もあり、1年で退団・帰国した[5]。

アメリカ球界復帰

1970年はセントルイス・カージナルス傘下のAAA級タルサ・オイラーズでプレーし、135試合に出場して打率.268、8本塁打、66打点、2盗塁を記録した。この年が現役最後のシーズンとなった。

引退後

引退後はカージナルスでコーチ、傘下のマイナーで監督を務めた。だがトーマス本人は、現役時代からゆくゆくは球団フロントの仕事に就きたいと考えており、その希望は1976年にカージナルスの販売推進部へ配属されて叶うこととなった。その後、遠征管理部を経て1981年には編成部長に就任し、1988年まで務めた。在任中、カージナルスは8年間で3度ワールドシリーズに進出しているが、トーマスはオジー・スミスをトレードにより獲得するなど戦力補強の面で貢献した。

1988年6月よりフィラデルフィア・フィリーズのGMに就任し、チームがワールドシリーズに進出した1993年には最優秀エグゼクティブ賞を受賞している[6]。

1997年12月にフィリーズを退団してからは、レッドソックスのGM補佐、アストロズとミルウォーキー・ブルワーズのプロスカウト、ボルチモア・オリオールズの球団特別補佐兼副社長を歴任した[7]。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1961 NYY 2220100010000000000.500.500.5001.000
LAA 130505452771291152422270052347227412.285.353.491.844
'61計 132507454771301152422370052347227412.286.353.491.844
1962 1606525838816921226272104614455367416.290.355.467.821
1963 14959452852116126916755602253698213.220.301.316.617
1964 471941721447812632410311810222.273.340.366.707
BOS 107442401441031921316542210334442914.257.319.411.730
'64計 154636573581502731522866313452545116.262.325.398.723
1965 151603521741412742224275625272834216.271.361.464.826
1966 ATL 391391261125116461511111011150.198.261.365.626
CHC 75167149153640143900101413153.242.319.289.608
'66計 1143062752661517892411212424303.222.293.324.616
1967 772121911642412542310121553223.220.284.283.567
1968 HOU 902212011439401461121411441226.194.249.229.478
1969 南海 1094263953410480121485022072301319.263.305.375.680
MLB:8年 10273730332440584711122106132042825112319332353239785.255.327.397.724
NPB:1年 1094263953410480121485022072301319.263.305.375.680

記録

MLB
NPB

背番号

  • 17(1961年 - 同年途中)
  • 32(1961年途中 - 1964年途中)
  • 6(1964年途中 - 1965年)
  • 9(1966年 - 同年途中)
  • 8(1966年途中 - 1967年)
  • 28(1968年)
  • 4(1969年)
  • 50(1972年)

脚注

  1. “元南海リー・トーマス氏死去 86歳 61年メジャーデビュー フィリーズGMで93年リーグV”. 日刊スポーツ. (2022年9月2日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/mlb/news/202209020000345_m.html 2022年9月2日閲覧。
  2. “Lou Maguolo” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年2月27日閲覧。
  3. retrosheet
  4. Hall, David (2 June 2018), "Orioles' Advisor Lee Thomas May Be the Most Interesting Man in Baseball You Don't Know," The Norfolk Virginian-Pilot. Retrieved 23 April 2019
  5. 『決定版日本プロ野球外国人選手大鑑 (BBmook―スポーツシリーズ 224)』ベースボール・マガジン社、2002年 111頁
  6. 「あの懐かしの助っ人たちは今?」『月刊メジャー・リーグ』 1997年11月号 ベースボール・マガジン社 54-55頁
  7. Roch Kubatko (2011年12月4日). “Thomas and Ferreira added to Orioles’ front office” (英語). MASN. 2021年5月27日閲覧。

関連項目

外部リンク

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