ルートヴィヒ・フィリップ・フォン・トゥルン・ウント・タクシス

ルートヴィヒ・フィリップ・フォン・トゥルン・ウント・タクシス(Ludwig Philipp Prinz von Thurn und Taxis)またはルイ・フィリップ・フォン・トゥルン・ウント・タクシス(Louis-Philippe Prinz von Thurn und Taxis[1], 1901年2月2日 - 1933年4月22日)は、ドイツの旧諸侯トゥルン・ウント・タクシス家の侯子。

ルートヴィヒ・フィリップ
Ludwig Philipp
トゥルン・ウント・タクシス家

出生 (1901-02-02) 1901年2月2日
ドイツの旗 ドイツ帝国
バイエルン王国の旗 バイエルン王国、レーゲンスブルク
死去 (1933-04-22) 1933年4月22日(32歳没)
ドイツの旗 ドイツ国、ニーダーアイヒバッハ、ニーダーアイヒバッハ城
埋葬 ドイツの旗 ドイツ国、レーゲンスブルク、聖エメラム修道院
配偶者 エリザベート
子女 アンゼルム
イニガ
父親 アルベルト
母親 マルガレーテ・クレメンティーネ

生涯

トゥルン・ウント・タクシス侯アルベルトとその妻でオーストリア大公ヨーゼフ・カールの娘であるマルガレーテ・クレメンティーネの間の第4子、四男として生まれた[2][3]。全名はルートヴィヒ・フィリップ・マリア・フリードリヒ・ヨーゼフ・マクシミリアン・アントニウス・イグナティウス・ラモラル(Ludwig Philipp Maria Friedrich Joseph Maximilian Antonius Ignatius Lamoral)。

ヴュルツブルク大学で法学を学んでいる。1922年11月14日にホーエンブルク(ドイツ領バイエルン州オーバープファルツ行政管区アンベルク=ズルツバッハ郡)において、ルクセンブルク大公ギヨーム4世の娘エリザベートと結婚し、間に1男1女の2人の子女をもうけた。

1925年、ニーダーアイヒバッハ城(バイエルン州ニーダーバイエルン行政管区ランツフート郡ニーダーアイヒバッハ)を購入して居城とした。1933年にこの城において32歳で死去した。息子が第二次世界大戦に従軍中に死去したため、城は娘を通じてウラッハ公爵家に相続された。

子女

  • アンゼルム・アルベルト・ルートヴィヒ・マリア・ラモラル(1924年 - 1944年)
  • イニガ・アンナ・マルガレーテ・ヴィルヘルミーネ・ルイーザ(1925年 - 2008年) - 1948年、ウラッハ侯エーバーハルト[注釈 1]と結婚

脚注

  1. Dallmeier/Schad: Das fürstliche Haus Thurn und Taxis. Pustet Regensburg 1996
  2. Darryl Lundy (2005年6月23日). “Ludwig Philipp Prinz von Thurn und Taxis”. thePeerage.com. 2009年7月15日閲覧。
  3. Paul Theroff. “THURN und TAXIS”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2009年7月15日閲覧。
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