ロイヤル砦の戦い

ロイヤル砦の戦い(Battle of Fort LoyalまたはLoyall)は、1690年5月20日に行われたウィリアム王戦争中の戦闘である。ジョゼフ=フランソワ・エルテル・ド・ラ・フレニエールジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタンが、自らの連隊のみならず、アベナキ同盟のインディアン(ニューブランズウィック、メデュクティクのミクマク族とマリシート族)を率いて、当時はマサチューセッツ湾植民地の一部であったファルマスネック(現在のメイン州ポートランド)のイングランド人集落を襲ったものである。

ロイヤル砦の戦い
ウィリアム王戦争中

ジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタン
(サンキャスタン男爵)
1690年5月20日 - 1690年5月21日
場所フォルマスネック(現在のメイン州ポートランド)
北緯43度39分41.3秒 西経70度15分19.1秒
結果 フランスとアベナキ同盟の勝利
衝突した勢力
ヌーベルフランス
アベナキ同盟
ニューイングランド
指揮官
ジョゼフ=フランソワ・エルテル・ド・ラ・フレニエール、ジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタン シルヴァヌス・ディヴィス
戦力
400人から500人規模の部隊及びインディアン兵 不明
被害者数
不明 戦死200人
フォルマスネック(ポートランド)の位置(メイン州内)
フォルマスネック(ポートランド)
フォルマスネック(ポートランド)
メイン州

ここの駐屯隊の隊長は大尉シルヴァヌス・デイヴィスであった。デイヴィスは1680年、フォルマスでインディアン戦争に備えた任務に着いたが、1690年に捕虜となり、翌年ニューイングランドに戻った[1]。この戦闘から2日後、集落にあったロイヤル(Loyal、Loyallとも綴る)砦は陥落した。集落の家屋や建物と、砦柵をめぐらせたロイヤル砦とが焼き払われ、人々は殺害されあるいは捕虜となった。カスコにあったこの砦の陥落により、メインの人口は減少した。このため、インディアン軍は、ニューハンプシャーとメインとの境界を、何ら報復されることもなしに襲撃することができた[2]

歴史的背景

1775年当時のフォルマスネックの地図

フォルマスにできた初めての駐屯地がロイヤル砦であった。1678年当時、この砦はインディアストリートの起点にあり、ウィリアム王戦争が続いていた1689年9月21日ベンジャミン・チャーチアカディアに遠征する際に、フォルマスにとどまろうとするイングランド系住民を、250人部隊と共に守った場所でもある。この時、兵士21人がインディアンに殺されたものの、チャーチはこの防衛に成功し、インディアンたちは撤退した[3]。その後チャーチは、無防備なイングランド系住民の一団を残してボストンへ戻った[4]。エルテルは1690年にフロンテナック総督から、メインとニューハンプシャーの境界にあるサーモンフォールズの襲撃の指揮を命じられ、成功を収めた[5]。その後、エルテルはロイヤル砦の攻略にフォルマスネックに向かった。

戦闘

ベンジャミン・チャーチ

1690年5月、フレニエールとサンキャスタンが率いる、400人から500人規模のフランスとインディアンの軍勢が[6]、フォルマスネックのイングランド系住民の集落を襲った。軍勢と住民の人数差は歴然としており、住民は4日間持ちこたえた末に降伏した。最終的に200人が殺され、遺体が山となって積まれた。1716年に新たなインディアン戦争が始まった時、フォルマスネックの行政官は、この大敗を再び繰り返すよりはましだということで、砦を壊し、駐屯隊を撤退させることにした[7]

イングランド系住民のその後

1690年の夏の終わり、チャーチはフォルマスに戻って来て、遺体を埋葬した[8]。 連行された100人の捕虜の中には、ニューイングランドの住民ジェームズ・アレクサンダーもいた[9]。アレクサンダーとジョン・ガイルズは、セントジョン川に沿った、ニューブランズウィックのメデュクティクのインディアン集落にある、マリシート族の拠点に連れて行かれた[10]。イングランド人漁師数人に友人を殺されたミクマクの2家族が、遠路はるばる、捕虜たちに復讐をしようとやって来ており、伝えられるところによると、彼らはイングランド系住民を殺して、その回りで大声で叫び、かつ踊った。そして遺体を空中に放ってから投げ出し、髪の毛をつかんで遺体を叩いた。しばしば、斧を使って叩くこともあった。インディアンたちは終日これを行い、捕虜にも踊りかつ歌うように無理強いした。夜には彼らは疲れ切ってしまっていた。この、拷問的行為を2回やらされたアレクサンダーは森へと逃げたが、空腹に勝てず再び捕えられた。彼がその後どうなったかは不明である[11]

ディヴィスは捕虜として4カ月をカナダで過ごした、フォルマスと、やはりメインの集落であるアロウシックは、それぞれ、1714年1716年まで無人のままだった[12]

脚注

  1. III Mass. Hist. Soc. Coll., Vol. I, page 101. Savage.
  2. Guy Chet; p. 82(文献名不明)
  3. Drake, The Border Wars of New England, p. 33
  4. The History of the great Indian war of 1675 and 1676, commonly called Philip ... By Benjamin Church, Thomas Church, Samuel Gardner Drake, pp175-176
  5. The Attack on Salmon Falls - British Redcoats and Regiments of the British Empire
  6. Webster, John Clarence. Acadia at the End of the Seventeenth Century. Saint John, NB, The New Brunswick Museum, 1979
  7. http://www.downeast.com/magazine/2010/may/casco-forgotten-forts
  8. The history of the great Indian war of 1675 and 1676, commonly called Philip ... By Benjamin Church, Thomas Church, Samuel Gardner Drake, pp175-176
  9. The old Meductic Fort and the Indian chapel of Saint Jean Baptiste: paper read before the New Brunswick Historical Society (1897), p. 7
  10. Tragedies of the Wilderness," 84.
  11. The New England Captives Carried to Canada by Emma Louis Coleman, p. 199
  12. http://www.davistownmuseum.org/publications/volume3.html#sylvina

参考文献

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.