三俣の大雪崩
三俣の大雪崩(みつまたのおおなだれ)は、1918年(大正7年)に新潟県南魚沼郡三俣村(現在の湯沢町字三俣)で発生した雪崩災害[2]。三俣雪崩とも呼ばれる。この雪崩に180名が巻き込まれ死者158名(圧死者155名、救助後に死亡した者が3名[2])にのぼり、文献記録に残るうえでは日本史上最悪の雪崩災害である。
概要
1918年1月2日から新潟県内は、暴風雪に見舞われ大雪となっていた (大正7年豪雪)[3]。やがて1月9日午後11時20分頃、三俣村の東側にある前の平の頂上から大規模な表層雪崩が発生[2][3]。雪崩は尾根の杉林で二手に分かれ、一部は小学校に流れて校舎が倒壊、本流は集落にある57戸のうち28戸を倒壊させ、家屋は雪に埋没した[2][3]。
当時、三俣村では水力発電用の水路のトンネル工事が行われており、工事関係者が多数入村していた[3]。
大雪崩の一報を伝えたのは、付近で水力発電所の工事を行っていた作業員である。彼は深夜に猛吹雪の芝原峠を越えて、隣町の湯沢町にこの情報をもたらしたのであった。大規模な救助隊[注 1]が編成されて救助にあたったが、夜半の災害で多くが就寝中に受災したこともあり、180名が雪崩に巻き込まれ、圧死者は155名[4]という大きな被害となった[注 2]。
脚注
注釈
- 1,000人とも2,000人とも伝えられる。
- 救助翌日の死者が3名おり[3]、雪災碑の記載も死者158人と記載されている。
- 当時の『魚沼日報』では「アイ」または「ホヤ」と伝えている。
出典
- 近頃雪崩災害を忘れていませんか和泉薫(日本オペレーションズ・リサーチ学会アーカイブ)
- 日本積雪連合『日本の雪害史』1981年、43頁。
- 日本積雪連合『日本の雪害史』1981年、261頁。
- 藤倉朋良『図解にいいがた歴史散歩<南魚沼>』p43 新潟日報事業社出版部
- 藤倉朋良『図解にいいがた歴史散歩<南魚沼>』p44 新潟日報事業社出版部
外部リンク
- 一月九日三俣村の大頽雪 - 『大正7年 新潟県気象報告』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.
