三条殿 (豊臣秀吉側室)
生涯
織田氏の家臣であった蒲生賢秀の娘として生まれる。その後、豊臣秀吉の側室となる。兄・蒲生氏郷の養女である三の丸殿と同様に、人質として秀吉のもとに来て側室となったと考えられるが、定かではない[1]。
秀吉が三条殿へ宛てた手紙が現存しており、三条殿に舟遊びを誘う内容が書かれているほか、三条殿のとらという名前を「ともし」と表記している[2]。
脚注
- 『戦国の女たち : 乱世に咲いた名花23人』(森実与子、学習研究社、2006年)
- “豊臣秀吉 自筆書状一幅(三条殿蒲生氏宛秀吉消息)”. 刀剣ワールド. 2021年12月4日閲覧。
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