三菱仲8号館
三菱仲8号館(みつびしなかはちごうかん)は、かつて日本の東京都千代田区丸の内にあった建築物である。旧称三菱第12号館。ここではその別館についても記す。
| 仲8号館 | |
|---|---|
| 情報 | |
| 旧名称 | 第12号館 |
| 用途 | 事務所 |
| 設計者 | 保岡勝也、本野精吾、内田祥三 |
| 建築主 | 三菱合資会社 |
| 事業主体 | 三菱地所 |
| 構造形式 | 煉瓦造・鉄筋コンクリート構造 |
| 延床面積 | 1,385坪 |
| 階数 | 地下1階、地上3階 |
| 高さ | 51尺2寸5分 |
| 着工 | 1907年(明治40年)7月20日 |
| 竣工 | 1910年(明治43年)8月5日 |
| 改築 | 1956年(昭和31年)解体 |
| 所在地 | 東京都千代田区丸ノ内3-8 |
| 座標 | 北緯35度40分40.68秒 東経139度45分44.67秒 |
| 仲8号館別館 | |
|---|---|
| 情報 | |
| 用途 | 郵便局 |
| 構造形式 | 煉瓦造 |
| 建築面積 | 18坪 |
| 階数 | 地上1階 |
| 着工 | 1918年(大正7年)4月 |
| 竣工 | 1918年(大正7年)6月 |
| 改築 | 1925年(大正14年)9月解体 |
| 所在地 | 東京府東京市麹町区丸ノ内3-8 |
| 仲8号館別館 | |
|---|---|
| 情報 | |
| 構造形式 | 鉄筋コンクリート構造 |
| 延床面積 | 286坪 |
| 階数 | 地下1階、地上3階 |
| 着工 | 1925年(大正14年)9月 |
| 竣工 | 1926年(大正15年)3月8日 |
| 改築 | 1956年(昭和31年)解体 |
| 所在地 | 東京都千代田区丸ノ内3-8 |
沿革
丸の内地区の大地主であったかつての三菱合資会社が、第11号館に続く第12号館として東京府東京市麹町区有楽町1-1(後の東京都千代田区丸ノ内3-8)の地所に建築を計画し、1907年(明治40年)7月20日より建設に着手して、1910年(明治43年)8月5日竣功を遂げた[1]。
三菱は1918年(大正7年)3月これを仲8号館と改称し、また同年4月より別館の建設に着手して6月竣功させ、これは同年8月1日より設置された丸ノ内仲通り郵便局が局舎とした[2]。
1923年(大正12年)4月4日には扶桑海上火災保険(後の三井住友海上火災保険)の貸室より発火して2階以上を焼失し、然るに発生した関東大震災による被災を経て、同年12月復旧された[3]。
1925年(大正14年)9月には既存別館が取り壊され、その跡地にて新たなる別館が1926年(大正15年)3月8日成された[2]。
第二次世界大戦での日本敗戦後の1945年(昭和20年)12月31日よりは連合国軍最高司令官総司令部が接収の上、エコノミック・リサーチ・ビルと成した[4]。接収は外国商社への貸事務所とすることを条件に1949年(昭和24年)7月をもって解除・三菱地所会社に返還され、以後は上記趣旨より通産省が賃借・管轄し、1952年(昭和27年)1月までそれらの用に供された[4]。
そして会社はより規模大なる貸事務所建築への建て替えを図り、1956年(昭和31年)別館と共に取り壊して、跡地に新東京ビルヂングと称する建築の第1期部分を完成させた[5]。
出典
- 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻141-145頁、資料・年表・索引186頁
- 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻213-217頁、資料・年表・索引362-368頁
- 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻269-270頁、282頁、296頁
- 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻494頁、下巻62頁、資料・年表・索引388頁、394頁
- 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 下巻110-112頁
参考文献
- 『建築雑誌』 第二十五輯第二百九十五號、建築學會、明治44年(1911年)7月25日。
- 三菱地所株式会社社史編纂室編 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 三菱地所株式会社、平成5年(1993年)。
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