上船塚古墳

上船塚古墳(かみふなづかこふん)は、福井県三方上中郡若狭町日笠にある古墳。形状は前方後円墳。上中古墳群(うち日笠古墳群/船塚古墳群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。

上船塚古墳
墳丘
(左に前方部、右奥に後円部。手前は国道27号
所属 上中古墳群
(うち日笠古墳群/船塚古墳群)
所在地 福井県三方上中郡若狭町日笠(字上船塚)[1]
位置 北緯35度28分12.79秒 東経135度48分50.81秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長70m
埋葬施設 (推定)横穴式石室
出土品 埴輪
築造時期 6世紀前半
史跡 国の史跡「上船塚古墳」
地図
上船塚古墳の位置(福井県内)
上船塚古墳
上船塚古墳
上船塚古墳(左奥)と下船塚古墳(右)

概要

上中古墳群の主な古墳[2][3]
古墳群古墳名形状墳丘長築造時期
脇袋上ノ塚古墳前方後円墳100m5c初
城山古墳前方後円墳63m5c中
脇袋西塚古墳前方後円墳74m5c後
中塚古墳前方後円墳72m5c末
天徳寺十善の森古墳前方後円墳68m6c初
日笠上船塚古墳前方後円墳70m6c前
下船塚古墳前方後円墳85m6c中

福井県南西部、若狭地方中央部において北川左岸の丘陵上に築造された古墳である。北川流域で若狭の首長墓系譜を形成する上中古墳群(脇袋古墳群・天徳寺古墳群・日笠古墳群を包括)のうち、最も西方の日笠古墳群に属する。本古墳は北側に並存する下船塚古墳と合わせて「夫婦塚」とも称され[1]、現在は古墳の南側を国道27号が通り、北側の下船塚古墳との間を旧国道(若狭街道)が通る。

墳形は前方後円形で、墳丘主軸を東西方向として前方部を西方向に向ける(下船塚古墳と同方向)[4][1]。墳丘は2段築成[1]。墳丘外表では埴輪が採集されているが、葺石は認められていない[1]。墳丘周囲には盾形と見られる周濠が巡らされている[1]。埋葬施設は明らかでないが[1]横穴式石室と推測される[5]

築造時期は、古墳時代後期の6世紀前半頃と推定される[5][1]。若狭の首長墓としては十善の森古墳に後続し、下船塚古墳に先立つ時期に位置づけられる[2][3]。被葬者は明らかでないが、脇袋古墳群から続く上中古墳群は若狭国造の膳臣(かしわでのおみ、膳氏)一族の首長墓群と考えられており、本古墳もその1つと想定される[2]

古墳域は1935年昭和10年)に国の史跡に指定されている[6]。なお、本古墳は古くから若狭国造の墳墓と伝えられるとともに、かつては遠敷明神(若狭彦神社・若狭姫神社)の祭祀が当地でも行われたという[7]

墳丘

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:約70メートル
  • 後円部 直径:約36メートル
  • 前方部 幅:約50メートル

墳丘の形態は下船塚古墳と異なっており、脇袋古墳群の西塚古墳との類似が指摘される[7]

文化財

国の史跡

  • 上船塚古墳 - 1935年(昭和10年)12月24日指定[6]

関連施設

  • 若狭町歴史文化館(若狭町市場) - 上船塚古墳の出土埴輪を保管・展示。

脚注

  1. 上船塚古墳(続古墳) 2002.
  2. 上中古墳群(平凡社) 1981.
  3. 『若狭三方縄文博物館・若狭町歴史文化館常設展示図録』 若狭町歴史文化課、2014年、pp. 12-24, 37(若狭町歴史文化館常設展示図録セクション)。
  4. 上船塚古墳(平凡社) 1981.
  5. 『若狭三方縄文博物館・若狭町歴史文化館常設展示図録』 若狭町歴史文化課、2014年、p. 23-24(若狭町歴史文化館常設展示図録セクション)。
  6. 上船塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. 上船塚古墳(小浜市・若狭町日本遺産活用推進協議会「日本遺産 御食国若狭と鯖街道」)。

参考文献

  • 史跡説明板
  • 日本歴史地名大系 18 福井県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490182。
    • 「上中古墳群」「上船塚古墳」
  • 山口充「上舟塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
  • 鈴木篤英「上船塚古墳」『続 日本古墳大辞典東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
  • 上船塚古墳」『国指定史跡ガイド』講談社 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

外部リンク

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