下侍塚古墳

下侍塚古墳(しもさむらいづかこふん)は、栃木県大田原市湯津上(ゆづかみ)にある古墳。形状は前方後方墳上侍塚古墳と合わせて国の史跡に指定されている(史跡「侍塚古墳」)。

下侍塚古墳

墳丘(右に前方部、左奥に後方部)
別名 車塚
所在地 栃木県大田原市湯津上
位置 北緯36度48分46.75秒 東経140度7分22.35秒
形状 前方後方墳
規模 墳丘長84m
高さ9.4m(後方部)
埋葬施設 粘土槨
出土品 銅鏡・鉄製品・土師器
築造時期 4世紀
史跡 国の史跡侍塚古墳」に包含
地図
下侍塚古墳の位置(栃木県内)
下侍塚古墳
下侍塚古墳
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那須地方の前方後方墳分布図

上侍塚古墳とともに江戸時代徳川光圀水戸黄門)の命で日本で最初の学術的発掘調査が行われた古墳として知られる。本項では、下侍塚古墳の北西にある侍塚古墳群(大田原市指定史跡)についても解説する。

概要

那須地方の前方後方墳6基
古墳群 古墳名 規模 前方部 葺石 埋葬施設
下侍塚古墳84m木棺直葬
上侍塚古墳114m粘土槨
上侍塚北古墳48.5m不明
那須
小川
駒形大塚古墳60.5m西木炭槨
吉田
新宿
温泉
神社
吉田温泉神社古墳50m木炭槨
八幡塚那須八幡塚古墳60.5m西木棺直葬

栃木県北東部、那珂川右岸の段丘上に築造された古墳である。江戸時代元禄5年(1692年)の発掘調査のほか、1975年昭和50年)に発掘調査が実施されている。

墳形は前方後方形で、前方部を南方向に向ける。墳丘長は84メートルを測り、那須地方の前方後方墳6基のうちでは上侍塚古墳に次ぐ規模になる。墳丘外表では葺石が認められる[1]。また墳丘周囲には周濠が巡らされ、周濠内からは底部穿孔の土師器(赤彩の有段口辺壺)が検出されている[1]。埋葬施設は後方部墳頂における木棺の直葬で、両小口には粘土塊が置かれる[1]。副葬品として、江戸期の調査では銅鏡(二神二獣鏡1)・鉄製品(刀片15・甲冑片・大刀把頭1・鉄鉾身1)・土師器(高坏4・壺か1)が検出されている[1]

築造時期は、古墳時代中期初頭の4世紀末葉頃と推定される[2]。上侍塚古墳とともに那須地方を代表する古墳の1つであるとともに、江戸期の調査後には上侍塚古墳と合わせて墳丘保存のための松が植えられていることから、日本で最初の学術的発掘調査かつ調査後の文化財保護の点で考古学史上においても重要視される古墳である。

古墳域は1951年(昭和26年)に国の史跡に指定されている(史跡「侍塚古墳」のうち)[3]

遺跡歴

  • 江戸時代元禄5年(1692年)に徳川光圀の命で大金重貞による発掘調査。副葬品多数出土(『湯津神村車塚御修理』として記録、調査後は松板箱に入れて埋戻し)。
  • 1951年(昭和26年)6月9日、国の史跡に指定(史跡「侍塚古墳」のうち)[3]
  • 1975年(昭和50年)、周溝の範囲確認調査(湯津上村教育委員会、1976年に概報刊行)。

墳丘

墳丘
左に前方部、右に後方部。

墳丘の規模は次の通り[2][4]

  • 墳丘長:84メートル
  • 後方部
    • 長さ:48メートル
    • 幅:48メートル
    • 高さ:9.4メートル
  • 前方部
    • 長さ:36メートル
    • 幅:36メートル
    • 高さ:5メートル

侍塚古墳群

侍塚古墳群
7号墳上から、左に5・6・8号墳、右奥に1・4号墳を望む。左最奥は下侍塚古墳。

侍塚古墳群(さむらいづかこふんぐん)は、下侍塚古墳の北西にある古墳群。かつては10基ほど存在したが戦後の開田等で消滅し[5]、現存する8基が大田原市指定史跡に指定されている。

前方後円墳1基・円墳6基・方墳1基の計8基から構成され、5・8号墳では部分的な発掘調査が実施されている。各古墳の内容は次の通り。

侍塚古墳群の一覧[5]
古墳名 画像 形状 規模 出土品 築造時期 調査
1号墳前方後円墳墳丘長35-50m円筒埴輪1999年測量調査
2号墳円墳直径17.5m2001年測量調査
3号墳円墳直径18m2000年測量調査
4号墳円墳直径16m2000年測量調査
5号墳円墳直径27m円筒埴輪・形象埴輪
土師器須恵器
6世紀1954年発掘調査
6号墳円墳直径12m2001年測量調査
7号墳円墳直径15m1998年測量調査
8号墳方墳一辺17m土師器下侍塚古墳と近い時期1977年発掘調査

文化財

国の史跡

  • 侍塚古墳 - 上侍塚古墳・下侍塚古墳を包括。1951年(昭和26年)6月9日指定[3]

大田原市指定文化財

  • 史跡
    • 侍塚古墳群1号墳 - 1966年(昭和41年)2月15日指定[6]
    • 侍塚古墳群2号墳 - 1966年(昭和41年)2月15日指定[6]
    • 侍塚古墳群3号墳 - 1966年(昭和41年)2月15日指定[6]
    • 侍塚古墳群4号墳 - 1966年(昭和41年)2月15日指定[6]
    • 侍塚古墳群5号墳 - 1966年(昭和41年)2月15日指定[6]
    • 侍塚古墳群6号墳 - 1966年(昭和41年)2月15日指定[6]
    • 侍塚古墳群7号墳 - 1966年(昭和41年)2月15日指定[6]
    • 侍塚古墳群8号墳 - 1966年(昭和41年)2月15日指定[6]

関連施設

  • 大田原市なす風土記の丘湯津上資料館(大田原市湯津上) - 下侍塚古墳・侍塚古墳群の出土品等を保管・展示。旧栃木県立なす風土記の丘資料館湯津上館(2015年4月に栃木県より大田原市へ移管)。

脚注

  1. 下侍塚古墳(古墳) 1989.
  2. 下侍塚古墳説明板。
  3. 侍塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. 侍塚古墳(大田原市ホームページ)。
  5. 侍塚古墳群説明板。
  6. 大田原市の文化財一覧表(大田原市ホームページ)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

  • 下侍塚古墳説明板・侍塚古墳群説明板(大田原市教育委員会設置)
  • 地方自治体発行
    • 『なす風土記ものがたり -なすの古墳をめぐって-(平成24年度 第1回企画展 大田原市なす風土記の丘湯津上資料館)』大田原市なす風土記の丘湯津上資料館、2013年。
  • 事典類
    • 斎藤忠「侍塚古墳」『国史大辞典吉川弘文館
    • 大金宣亮「侍塚古墳」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
    • 「下侍塚古墳」『日本歴史地名大系 9 栃木県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490093。
    • 橋本澄朗「下侍塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
    • 侍塚古墳」『国指定史跡ガイド』講談社 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『下侍塚周濠発掘調査概報(湯津上村埋蔵文化財調査報告 第2集)』湯津上村教育委員会、1976年。
  • 眞保昌弘『侍塚古墳と那須国造碑 -下野の前方後方墳と古代石碑-(日本の遺跡25)』同成社、2008年。ISBN 9784886214164。

関連項目

外部リンク

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