藤原良経 (平安時代中期の貴族)
経歴
三条朝初頭の寛弘8年(1011年)元服し、従五位下に叙爵。のち、左兵衛佐・少納言を歴任した。
後一条朝に入ると、尾張権守に任ぜられ、これを10年近くに亘って務める。またこの間の万寿3年(1026年)陪膳の当番だったが伺候しなかったため、式部大輔・藤原資業とともに殿上簡を除かれた[1]。のち、左馬頭・皇后宮権大夫と京官を務め、後朱雀朝初頭の長暦3年(1038年)には正四位下に叙せられている。
官歴
系譜
注記のないものは『尊卑分脈』による。
脚注
- 『左経記』万寿3年10月19日条
- 『権記』
- 『御堂関白記』
- 『小右記』
- 『栄花物語』14
- 『左経記』
- 『春記』
- 『造興福寺記』
- 『尊卑分脈』
- 『本朝世紀』康和5年11月15日条
- 『春記』永承7年5月5日条
- 母を藤原隆光の娘とするのは『本朝世紀』康和5年11月15日条による。
- 『僧綱補任』
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