中司清
経歴・人物
1924年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、鐘淵紡績に入社した[1]。満州の新京出張所所長などを歴任し、1944年からは取締役、常務を務め、1947年から副社長を務めた[1]。
1949年6月に鐘淵紡績から分離発足した鐘淵化学工業の初代社長に就任し、塩化ビニールをいち早く企業化し、アクリル系合繊「カネカロン」の開発などにより、同社を日本有数の総合化学企業に育て上げた[2]。社長在任中の1968年にカネミ油症事件が起きた[3]。1969年5月に会長を務め、1974年11月に取締役相談役を経て、1978年6月から相談役名誉会長を務めた[1]。
化学業界の重鎮として、日本化学工業協会会長を務める一方で、関西経済連合会副会長、関西経済同友会代表幹事も務め、関西財界の重鎮として活躍した[4]。1971年に佐伯勇を団長とする使節団の副団長を務め、中国に訪問するなど、日中友好の促進にも力を入れた[5]。1961年に藍綬褒章を受章し、1970年に勲二等旭日重光章を受章した[1]。
脚注
- 人事興信所 1985, な90頁.
- 1990年 5月5日 日経産業新聞 p11
- 1990年 5月2日 日本経済新聞 朝刊 p35
- 1990年 5月2日 毎日新聞 朝刊 p23
- 1987年 1月23日 日本経済新聞 朝刊 p32
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。
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