中山タマ
来歴
1889年兵庫県津名郡仮屋町(現淡路市)に生まれる[1]。日本医学校(現日本医科大学)を卒業後[1][2]、1911年に医師免許を取得し、翌年神戸市で開業する[1]。その後鈴蘭台病院院長になり[1]、戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙に兵庫県1区(大選挙区制)から無所属で立候補して3位で当選した[3][4]。翌年の第23回衆議院議員総選挙では兵庫2区から民主党公認で立候補したが落選した[3][5]。落選後は論文「人體に於けるBCG皮内接種の局所反應とツベルクリン反應との關連に就て」により1949年に大阪大学から医学博士の学位を取得し[6]、自民党に入党して兵庫県連顧問になった[7]。1971年死去。
脚注
注釈
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』460頁では「中山たま」と表記。
出典
- 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』245頁。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』460頁。
- 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』246頁。
- 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』152頁。
- 『朝日選挙大観』528頁。
- 人體に於けるBCG皮内接種の局所反應とツベルクリン反應との關連に就て - CiNii、2020年1月20日閲覧。
- 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』247頁。
参考文献
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