中島正武
経歴
高知県土佐郡小高坂村(現・高知市)にて[1]、中島正篤の息子として生まれる。海南中学校、陸軍幼年学校を経て、1890年7月、陸軍士官学校(1期)を卒業し、翌年3月、歩兵少尉に任官し歩兵第3連隊付となる。日清戦争に出征。1899年12月、陸軍大学校(13期)を卒業した。
歩兵第3連隊中隊長、参謀本部出仕、参謀本部員などを経て、日露戦争では大本営運輸通信長官部参謀であった。第1師団参謀、東京衛戍総督部参謀、歩兵第68連隊長、ロシア大使館付武官、参謀本部課長などを歴任し、1915年1月、陸軍少将に昇進した。
参謀本部付となり、第一次世界大戦に観戦武官としてロシア軍に従軍。1916年の閑院宮載仁親王のロシア皇帝訪問の際には随員を務めた[2]。歩兵第30旅団長、参謀本部第2部長、ハルピン特務機関長、浦塩派遣軍参謀などを経て、1919年1月、陸軍中将となった。参謀本部第2部長、兼同総務部長、第2師団長、近衛師団長を歴任。1923年8月、待命となり、翌月、予備役に編入された。その後、賀陽宮宮務監督、日露協会会長を勤めた。
栄典
- 位階
- 勲章等
脚注
- 高知新聞社 1999, 556頁.
- 1916年閑院宮載仁親王のロシア訪問―来露100年を記念してセルゲイ・チェルニャフスキー、東京大学史料編纂所研究紀要 第27号 2017年3月
- 『官報』第2576叙任及辞令」1892年2月4日。
- 『官報』第1190号「叙任及辞令」1916年7月19日。
- 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
- 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
参考文献
関連項目
- 日和山 (名取市) … かつて「中島山」「中嶋山」とも呼ばれた。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.