中村直吉
生涯
アメリカ行きまで
明治20年(1887年)、福沢諭吉が横浜正金銀行初代頭取だった中村道太[注釈 1]とともに、アメリカに「日本村」建設を計画すると、これに共鳴し参加を志す。しかし、計画の責任者だった井上角五郎が甲申政変に関与した嫌疑で逮捕されたため、渡航直前に計画が頓挫してしまう[1]。
アメリカ行きの志を諦めきれない直吉は、翌21年(1888年)に結婚後間もない妻を残し単身渡米した。以後、同26年(1893年)の一時帰国を挟んで、明治31年(1898年)までの前後10年間に及ぶ海外放浪を続け見聞を広める。
世界一周
帰国後は、呉服町で帽子店を営む一方で政治活動にも関わるが、再び海外渡航の計画を立てるようになる。
明治34年(1901年)、36歳の直吉は帽子店を妻子に任せ、世界一周に出発した。ステッキを片手に、「World Explorer(世界探検家)」と書かれた白いリボンを洋服につけて[2]アジア、中近東、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカ、ニュージーランド、オーストラリアを周遊。シンガポールで同時代の旅行家である岩本千綱と、万博が開催されていたセントルイスやテキサスでは社会主義者の片山潜と出会っている[3]。60カ国・5年10ヶ月に及ぶ旅で、その間の記録は、彼の「世界各国旅行証明簿」と名付けた冊子に記録された。行く先々では、各国の王族、貴族など著名人から一般市民まで出会った人々にサインを求めたため、冊子には400以上のサインが記されている。
明治40年(1907年)、世界一周旅行から帰国。後に自己の探検記を、当時の人気作家・押川春浪との共編という形で『五大州探検記』と題して出版した(全5巻)。これにより、中村は「明治の快男児」として各界から持て囃された。また旅行記執筆とあわせて、講演のため各地を旅行している。
著作
- 5年10ヶ月にわたる世界一周旅行の内、2年3ヶ月分を収めたもの。アジア、アフリカ、ヨーロッパを回り、海路ニューヨークへ向かうところで終わっている[注釈 3]。有名作家の押川春浪との共著ということでフィクションとのあらぬ疑惑を受けたこともあり、実際、押川の筆によるほら話や誇張が含まれる。南アフリカにおける白人支配の実態等の鋭い観察も指摘されている[6]。
- 『世界探検十五万哩』 上・下 啓成社 1915年
- 復刻版 『世界探検十五万哩 ; 南米アマゾン探検談』ゆまに書房〈シリーズ出にっぽん記 : 明治の冒険者たち, 第3巻〉、1993年。ISBN 4896687019。 NCID BN10147576。
- 『アマゾン探検記』 啓成社 1916年
- 復刻版 『アマゾン探検記』ゆまに書房〈シリーズ出にっぽん記 : 明治の冒険者たち, 第4巻〉、1993年。ISBN 4896687027。 NCID BN10147634。
なお、「亜細亜大陸横行」や「南洋印度奇観」の巻末に、『南米に行け』[注釈 4](発行・南米協会、発売・博文館)の近刊広告が掲載されているが、実際に出版されたかは不明[10]。
展覧会など
注釈
出典
- 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 1986, p. 292.
- 前田寛季「明治 大正 昭和 あいち賢人 中村直吉(1865-1932) 世界一周した旅行家 アフリカ旅行記に注目」、中日新聞2014年12月27日付朝刊、17頁。
- 楠元 2013, p. 19.
- 青木 1993, p. 132.
- 青木 1993, p. 122-123.
- 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会 1986, p. 293.
- 青木 1993, p. 133.
- 内山正如 編『国立国会図書館デジタルコレクション 博文館図書雑誌総目録』博文館、1908年。
- 山本 2008, p. 173.
- 青木 1993, p. 127-128.
参考文献
- 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会編 編『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会、1986年。 NCID BN0033611X。
- 青木澄夫『アフリカに渡った日本人』共同通信社、1993年。ISBN 478879313X。 NCID BN09294041。
- 第一章「忘れられた世界無銭旅行家中村直吉」で、経歴の概略とアフリカにおける直吉の足跡をまとめている。
- 山本光正『東海道の創造力』臨川書店、2008年。ISBN 9784653039693。 NCID BA86442480。
- 楠元町子「明治の新聞を活用した歴史の授業 : 明治時代にグローバルに活躍した郷土の偉人中村直吉」(PDF)『学び舎 : 教職課程研究』第8号、愛知淑徳大学教育学会、2013年3月、11-23頁、ISSN 18810306、NAID 120005270992、2017年11月3日閲覧。