久居陣屋
久居陣屋(ひさいじんや)は、江戸時代前期から明治時代初期にかけて存在した久居藤堂氏歴代の陣屋。
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|---|---|
| 城郭構造 | 陣屋 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 藤堂高通 |
| 築城年 | 寛文11年(1671年) |
| 主な城主 | 久居藤堂氏 |
| 遺構 | 空堀 |
| 指定文化財 | なし |
| 再建造物 | なし(久居開府の碑) |
概要
築塁経緯
寛文9年(1669年)、津藩主・藤堂高次が隠居し藤堂高久に家督を譲った。高久の弟・藤堂高通は5万石を分知され、久居藩が成立した[1]。これは、津藩に後継者がいなかった場合(=家系の断絶)に備えたものであった[1]。
構造
久居藩主となった高通は江戸幕府から承認され、当時は野辺野(のべの)と呼ばれていた南部に陣屋を築塁し、同時に城下町の建設も進めた[1]。陣屋は雲出川の沃野を見下ろす高台に築塁され、居住場所の奥御殿を中心に、北に米蔵、北西に土塁、南は急峻な崖、東には大手門があった[1]。また、土塁に沿って内堀を巡らしていたが、築城は認められていなかったので溝(みぞ)と呼んでいた[1]。
城下町の建設
陣屋の築塁と共に城下町の建設も進められた[1]。江戸から従ってきた家臣には貸下げ金を支給し、町民には宅地と2反歩の菜園を無償で与え、城下への移住を促進した[1]。町割りは、陣屋の東と北に武家屋敷を配置し、その武家屋敷を囲むように総構え外堀(当時は溝と呼んでいた)があった[1]。そして総構えの外側には町民の宅地が広がっていた[1]。
脚注
- 『城郭と城下町 東海』 - 小学館発行 - 202 - 203ページ
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