乙訓王
経歴
称徳朝の天平神護2年(766年)12月、西大寺行幸の際に、清原王・気多王・梶島王とともに无位から従五位下に叙せられる。天平神護3年(767年)、奈貴王の後任の正親正に任ぜられるが、神護景雲3年、奈貴王が再度正親正となり、官職を退いている。、
この時のことかどうかは分からず、理由は不明であるが、上述の清原王とともに官位を剥奪されたらしく、光仁朝の宝亀2年(771年)、清原王とともに无位から本位の従五位下に復し、宝亀9年(778年)2月、大膳亮に任ぜられる。この時の大膳大夫は菅生王。翌10年(778年)、三島嶋麻呂に官職を譲ってからの経歴は不明。
官歴
『続日本紀』による。
脚注
- 岩波書店『続日本紀4』補注27 - 四七
参考文献
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.