五百蔵氏
出自
伊勢平氏の家系である平正盛[1]及び平忠正[2]の末裔を称しており、忠正が保元の乱に敗れると、その一族が領地であった大和国宇治郡安岡荘に隠れ安岡姓を名乗り、屋島の戦いの後に土佐国安芸郡吉良川に移り吉良川城を居城として付近を領有していたが、その一族の分家が土佐国香美郡韮生谷五百蔵に住み、安岡姓を改めて五百蔵姓を名乗ったという[1]。
菩提寺
- 報恩寺[3]
地名との関連
- 高知県香美市香北町五百蔵
- 居住していた韮生谷五百蔵にちなんで、五百蔵姓を名乗ったと言われる[1]。
脚注
- “「五百蔵」の名字の由来”. 2017年11月15日閲覧。
- “桓武平氏概観”. 2017年3月28日閲覧。
- “五百蔵筑後守”. 2017年3月28日閲覧。
- 寺石 1942, p.76-77
- “香美史探訪記 第32回 五百蔵山田氏と報恩寺阿弥陀堂(香北町五百蔵)” (PDF). 香美市. 2017年3月28日閲覧。
- “勝成大年神社”. 兵庫県神社庁. 2017年3月28日閲覧。
参考文献
- 寺石正路『国立国会図書館デジタルコレクション 土佐名家系譜』高知県教育会、1942年。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.
