京都市立北白川小学校
京都市立北白川小学校(きょうとしりつ きたしらかわしょうがっこう)は京都府京都市左京区北白川別当町にある公立小学校。
| 京都市立北白川小学校 Kitashirakawa elementary school | |
|---|---|
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| 北緯35度01分54秒 東経135度47分33秒 | |
| 過去の名称 |
愛宕郡第三区第十公立白川小学校 白川尋常小学校 北白川尋常高等小学校 京都市北白川国民学校[1] |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 |
|
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | B126210000279 |
| 所在地 | 〒606-8276 |
| 外部リンク | 公式サイト |
沿革
1874年(明治7年)開校という、長い歴史を持つ小学校である。開校当時は乗願院の隣に存在し、従来寺子屋として使用されていた「毘沙門堂」という寺院跡を借りて授業を行っていたが、1877年(明治10年)に北白川天神宮側に移転。この時期は北白川村役場も敷地内に併設されていた。しかし生徒数の増加から、1904年(明治37年)、さらに現在地に移転した。開校当時は北白川の地域性を考慮し、読み書きの他に、石工に特化した授業も行われていた[2]。また、1889年(明治22年)には白川の氾濫で校舎が流失した[* 1]、太平洋戦争(大東亜戦争)中は疎開児童を多く受け入れ、教室に70人以上の生徒が入った、などのエピソードも有る[3]。後述するが、敷地内に遺跡も存在している。
かつては仕伏町という平野部の東端に位置していたが、現在はやや平野部の中央に近い、別当町70番地に置かれている[* 2]。明治時代においては生徒数の増加に合わせ、各所から建物を移設し、校舎として利用していた。昭和に入ってからも校舎の増築は続き、昭和30年代の航空写真では現在運動場として利用されている部分の中央に迫るほどに、二重、三重に校舎が設置されている模様が確認できる[4]。『愛郷』によれば、2004年までに校舎建築5回、増改築および移設が15回行われたという[5]。
脚注
注釈
- ちなみに、現在地に移転するまでの2つの跡地は、いずれも白川の河畔という立地である。
- とはいえ、移転の行われた時期にはまだ周囲に田畑が拡がっており、当時の村の中央というわけではない。
出典
- 「京都市立北白川小学校」『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年、123頁。doi:10.11501/12111830。
- 『こども風土記』 p.299
- 『こども風土記』 p.305
- 『こども風土記』 p.312、または『120周年記念誌』 p.13
- 『愛郷』 第44号 p.7
関連項目
外部リンク
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