今城重子
生涯
1848年(嘉永元年)に孝明天皇の後宮に近侍し、後に少将内侍となる。義兄である千種有文や岩倉具視らと意を通じ、1858年(安政5年)に具視の「神州万歳堅策」は重子を経て天皇に内奏されたといわれている[1]。
和宮降嫁の際には堀河紀子と共に推進したため、後に朝廷内の尊攘派から「四奸両嬪」のひとりとして排撃され、辞官及び隠居、そして落飾を命じられた。しかし1868年(慶応4年)に許されて旧位に復した[1]。
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