伊予神社
伊予神社(いよじんじゃ、伊豫神社)とは愛媛県に鎮座する神社であり、『延喜式神名帳』の伊予国伊予郡にその名が記載され、名神大社とされている。現在「伊予神社」を名乗る神社が愛媛県伊予郡松前町神崎と伊予市上野にそれぞれ鎮座しており、いずれも式内社の論社となっている[1]。
伊予神社(松前町)
| 伊予神社 | |
|---|---|
![]() 本殿 ![]() | |
| 所在地 | 愛媛県伊予郡松前町神崎193 |
| 位置 | 北緯33度47分3秒 東経132度44分35秒 |
| 主祭神 | 彦狭島命 |
| 社格等 |
式内社(名神大社) 県社 |
| 本殿の様式 | 流造 |
| 別名 | 親王宮 |
| 例祭 | 10月14日 |
祭神
河野氏の系譜を記した『予章記』には孝霊天皇の皇子の彦狭島命が反抗する民を制圧するために伊予国に派遣されたとあり、続けて皇子が現社地にあたる神崎庄に鎮座し、このことから当社を親王宮と呼ぶと記している。
速後上命は『先代旧事本紀』内の「国造本紀」では神八井耳命の子孫とされており、成務天皇の時代に伊予国造に任命されたとある。
歴史
社伝によれば、文治年間に伊予守源義経から崇敬され、その寄進により社殿が造営されたが文永年間にその社殿が消失したという。中世には祭神彦狭島命の子孫を称する河野氏から崇敬を受けており、天正年間に河野通信の命で社殿が造営されたという。[3]寛文年間ごろより親王宮大明神という名称になった。
明治30年(1897年)に後述の経筒などの出土を受けて社格を国幣社へ昇格することを認可されたが、氏子数の少なさから結局は県社にとどまった。[4]
境内
境外社
伊予神社(伊予市)
| 伊予神社 | |
|---|---|
![]() 本殿 ![]() | |
| 所在地 | 愛媛県伊予市上野2485 |
| 位置 | 北緯33度46分15秒 東経132度44分40秒 |
| 主祭神 | 月読尊 |
| 社格等 |
式内社(名神大社) 村社 |
| 創建 | 伝・延長5年(927年) |
| 本殿の様式 | 流造 |
河野氏の崇敬を受け、また大洲藩主の祈願所として藩主の参拝や祭祀料の献上を受けていたという。かつては8町4歩もの社地を有していたとされる。
祭神
- 月読尊
- 愛比売命
境内
- 勅使橋
- 境内を流れる宮川に掛けられた橋。現存しているのは後から追加されたもの。
- 拝殿
- 唐破風付きの平屋造で屋根は瓦葺。
- 中殿
- 唐破風付きの平屋造で屋根は瓦葺。
- 本殿
- 流造で屋根は銅板葺。
- 時雨神社
- 水分神、雷神、高龗神、海童神を祀る。旧称は八大龍王神社。文化8年(1811年)に正一位の神階を授けられたという。伊予郡24か村の祈雨を行う社であったが明治44年(1911年)に当社の境内に奉還された。流造で銅板葺の本殿と流造で瓦葺の幣殿からなる。
- 弥光井神社
- 愛媛命を祀る。本殿の東にある泉水の跡にある。明治43年(1910年)に当社に併合された。
- 山本神社
- 須佐之男命を祀る。明治43年(1910年)頃に当社に併合された。
- 猿田彦神社
- 猿田彦大神を祀る。
脚注
- 他の論社としては松山市にある伊豫豆比古命神社があるが、こちらは同じく式内小社の伊豫豆比古命神社に比定する説が有力である。
- 伊豫豆比古命神社のことであるという説もある。
- 『日本の神々(2)山陽・四国』318頁
- 『日本の神々(2)山陽・四国』320頁
参考文献
外部リンク
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