指月 (山城国)
概要
現在の桃山丘陵の南麓に位置する京都府京都市伏見区桃山町泰長老の光明、崇光両天皇陵の周辺は、かつて指月と呼ばれ、南に巨椋池を一望する風光明媚な地で平安時代より観月の名所として知られる。「指月」は、空の月、川の月、池の月、盃の月の「4つの月」の意味とされ、貴族の別荘や宮家の御所として栄えた。
伏見山荘
平安後期の“伏見長者”と称された橘俊綱は、宇治・平等院を開創した父・藤原頼通にならい、「臥見亭」「臥見別業」などと称された伏見山荘を築き、連日のように仲間の公家たちを招き、指月の森や巨椋池の風光明媚な様を愛で、詩歌管弦に耽ったり、酒を楽しんだりしたと云われている。俊綱没後に、伏見山荘は白河上皇に寄進される。
伏見殿御領
伏見山荘が後白河上皇に伝承された際、上皇はここに壮麗な伏見殿(船津御所、伏見離宮)を造営する。さらに、崇光院がこの伏見殿御領を栄仁親王代々の相伝地とし伏見宮家を創設する。それ以後、伏見宮家は伏見殿と称し、指月の伏見殿を上御所、巨椋池の船着場である南浜付近に建てた舟戸御所を下御所とする伏見御所は繁栄を極めたと云う。しかし、室町期の動乱、戦国期の争乱を経て、伏見殿は荒廃の一途を辿っていく。
脚注
- “伏見城跡・指月城跡 現地説明会資料”. 京都市文化財保護課. 2021年6月30日閲覧。
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