伝堀越御所跡
歴史
室町時代、鎌倉公方として関東に下向した足利政知が、享徳の乱により鎌倉に入ることができず、ここに御所を構えたとされる。鎌倉を追われた足利成氏が古河で公方(古河公方)を称したのに対し、こちらは堀越公方と呼ばれた。
発掘調査
御所跡の一部の土地は伊豆の国市の所有となっているが、周辺は私有地や住宅地であり、本格的な整備や調査が実施できない状態とみられる。
過去に発掘調査が実施されているが、池の跡が検出されたのみで、建物跡などは不明である。上記の事情で、ごく一部地域でしか調査が行われていないため、「ここが堀越御所であった」ことを明示する直接的な物証は得られておらず、地元自治体でも「伝堀越御所」と案内している。近くには北条氏邸・円成寺跡があり、その関係も考えられないわけではない。とくに、室町時代には円成寺が近接していたことになる。
発掘調査後は埋め戻されて、2007年時点では更地に説明看板が立つのみの状態となっていた。だが、2008年3月に説明板が伊豆の国市によって新しく設置された。発掘調査時の遺構写真を示して、その状況を説明している。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.
