佐志房
略歴
鎌倉幕府より将軍家下文を受け、東国御家人に準ずる存在として地頭を務める。元寇において、文永10年(1274年)10月16日、文永の役で佐須浦に3万数千人の蒙古軍が現れた。松浦党は松浦郡で蒙古軍と戦ったと見られ、数百人が犠牲となり、佐志房と子息の直(なおす)、留(とむる)、勇(いさむ)も討ち死にした。その後、遺領をめぐって直の子熊太丸と勇の娘久曽(くそ)が争っている(『有浦文書』弘安2年10月8日関東下知状)。
系譜
- 父:不詳
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:佐志直
- 男子:佐志留
- 男子:佐志勇
参考文献
- 村井章介 『北条時宗と蒙古襲来』 NHK出版、2000年。
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