佛向寺
佛向寺(ぶっこうじ)は、山形県天童市にある浄土宗の寺院。昭和17年(1942年)までは、時宗の中本寺(時宗宗憲並宗規及び時宗寺院名鑑)山号は宝樹山。本尊は阿弥陀如来。正式名称は、寳樹山稱名院佛向寺と称する。
![]() 本堂 | |
| 所在地 | 山形県天童市小路一丁目8-16 |
| 位置 | 北緯38度21分13.5秒 東経140度22分22.6秒 |
| 山号 | 寳樹山 |
| 宗旨 | 時宗→浄土宗 |
| 宗派 | 時宗一向派(天童派)→浄土宗鎮西派 |
| 寺格 | 旧時宗一向派中本山(天童派本山) |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 弘安10年 |
| 開基 | 一向俊聖 |
| 中興年 | 明治年間 |
| 中興 | 誠阿 |
| 正式名 | 寳樹山稱名院佛向寺 |
| 札所等 | 最上四十八地蔵尊霊場第一番(あたごのじぞう)第十番は浄土宗宗報の誤記。愛宕神社の別当寺にあったもの。 |
| 文化財 | 佛向寺一向上人開山忌踊躍念仏(旧山形県指定無形民俗文化財)伝承者川越祐兼の死亡により、登録解除となった。 |
| 法人番号 | 1390005002258 |
歴史
開山
佛向寺は天童市大清水字二階堂に弘安10年(1287年)に一向俊聖によって創建されたと伝えられる[1]。ただし、番場蓮華寺を正統とする立場から書かれたとみられる『一向上人伝』にはその記述はなく、その弟子行蓮による開山と考えられている。宇都宮一向寺の阿弥陀如来像に行蓮の銘があることから、関東まで来ていたことは間違いないと思われる。また、「一向上人血脉譜」(近江番場蓮華寺蔵)によれば、行蓮は下野宇都宮一向寺、羽州藻上(最上)佛向寺を開山したという[2]。
南北朝時代から戦国時代
南北朝時代になり成生佛向寺を開基した里見氏に斯波兼頼(最上氏の祖)の係累が養子として入ると、本拠地を成生から天童に移し、それに伴って佛向寺も天童へ移った。佛向寺は天童城の西の守りとして機能し、僧兵を持っていた。やがて、戦国時代となり天童氏が最上氏から自立すると天童氏の側に立って最上氏と争うことになる。
佛向寺跡
佛向寺跡について、字名などから成生荘地頭の二階堂氏の館跡との説もあるが、その近辺からは念仏鉦が出土している。また、その近辺の高野坊遺跡からは、応長元年(1311年)一向俊聖の二十七回忌を勤めたという礫石経が出土している[3]。そのほか、成生街道沿いには下馬止めの欅があったという[4]。
脚注
- 『寳樹山稱名院佛向寺縁起』によると鎌倉で源頼直が一向に要請し、出羽国に下向したという(『寒河江市史 上巻』p.900
- 『寒河江市史 上巻』p.901
- 『高野坊遺跡発掘調査報告書』p.38
- 奥山幸重「成生の歴史雑考」、『高野坊遺跡発掘調査報告書』p.4
参考文献
- 寒河江市史編さん委員会 『寒河江市史 上巻』、1996
- 天童市教育委員会 『高野坊遺跡発掘調査報告書』、1997(天童市埋蔵文化財発掘調査報告書第16集)
外部リンク
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