八戸らーめん
概要
初めて食べたのに、なぜか懐かしく感じる。心まで温かくなるらーめん。八戸らーめん。その構想は、東北新幹線八戸駅開業を機に、八戸商工会議所が打ち出したものである。その後、市内飲食店経営者が中心となって2002年9月に八戸らーめん会を設立。地元で長い歴史を持ち、親しまれているラーメンを「ご当地ラーメン」として復刻し、現在は市内外の飲食店で提供している。キャッチコピーは「懐かしの昔味」。なお、ロゴマークやキャッチコピーは八戸らーめん会の登録商標である。
八戸らーめんの開発・復刻
八戸のラーメンの歴史は、1928年頃に遡る。
当時、東京で十数台のラーメン屋台を経営していた鄭克銓(ていこくせん)さんは、八戸市に移住して六日町に食堂”来々軒”を開店。鄭さんは、”支那そば”造りのために、中国(福建省)から陳さんを呼び寄せて細切りで手揉みの麺を造らせた。タレは、醸造醤油をベースに近海で獲れた煮干しをふんだんに使い、地鶏ガラと豚骨でダシを取っていた。
この絶妙な味は大変な話題を生み、客の行列は絶えることがなかった。戦後になると、陳さんや尻内町に住んでいた林さんの指導により八戸市内には、”来々軒”のほかに、”板橋”、”一心亭”、”千成”などの専門店や、”杉本”、”中村”、”外崎”、”中島”、”木村”、”松橋”、”阿部”等の製麺業者も次々と増えた。
しかし、80年代の全国的なラーメンブームで濃厚スープが台頭したことで、地元で昔から親しまれていたラーメンを提供する店舗は減少してきた。一方で、2000年代に入ると、ラーメンの多様化や健康志向も相まってあっさりとしたスープを求める気運も高まってきていた。
そして平成14年。東北新幹線八戸駅開業を機に、“懐かしの昔味"が”八戸らーめん”として復刻。[1]。開発当初は海鮮素材を使ったラーメンも想定されていたが、最終的には煮干だしのシンプルなスタイルで合意形成された。
なお、同時期に新横浜ラーメン博物館が企画し、佐野実がプロデュースした「八戸支那そば」があるが、内容が異なりあくまでも別ものである。
沿革
出典
- 「『八戸ラーメン』どう復活」2002年2月10日「東奥日報」
- 「発売開始1年100万食を突破」2003年11月11日「デーリー東北」
- 「八戸らーめん給食に」2009年8月21日「東奥日報」
- 「冷やし八戸中華の給食人気/八戸・小中学校」2009年8月26日「デーリー東北」
