八木宿
概要
1845年時点では96戸542人で、例幣使街道の宿場町の中ではごく小規模なものであった[1]。
本陣・脇本陣は設置されていた。本陣は寺山家がつとめ、屋号は千代本を名乗った。しかし公家諸大名の宿泊は稀であったとされる。一般庶民階級は、公家諸大名が宿泊する宿場町を避ける傾向があったことから、一般旅行者を主たる対象とする宿場町であったとされる[2]。
出典
- 「宿村大概帳」による。
- 「例幣使街道本陣の考察(その4) : 八木宿とその旅館建築について」日本建築學會研究報告60号。
隣の宿
- 日光例幣使街道
- 太田宿 - 八木宿 - 梁田宿
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